魂で考える 母との距離感 |  なんとかなるさ

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川の流れのように

こんにちは。
子間宮みかです。
 



先日、実家に梅干しをもらいに
長女と行きました。


13時頃に行ったのですが、
お昼を食べた?と聞かれ
敬老の日で両親に和菓子をと思い、
和菓子屋さんに寄ったときに
ついでに長女と私も豆大福などを
食べてきたので、


食べてないけど、和菓子つまんだから....
と長女に同意を求めようと顔を見ると、
お腹減ってる~って顔。
(仔犬がクゥーンと泣いてるような顔ねー)




で、父は食べろ食べろと
言ってくれ母が冷凍のおにぎりや、
ゆで落花生、味噌につけて食べる生姜
などを出してくれました。


で、生姜を私が包丁で切っていると、
隣に並んで母がレンジに入れる準備を
し始めたのですが、
なんだか私の幼少期の親子関係が
母から漂いはじめたように感じ、
ゾワゾワ~としました。
(あれだけ縁を切るとかあったのに
またそれするの?という驚き)




私は娘もいるので、
両親との会話で自分のことを
「お母ちゃん」と言っていました。


でも母は自分のことを
この関係のなかで
「お母さん」とぎこちなく言い、
ん?
と思ったんです。
そこは「おばあちゃん」じゃね?



で、母の取り繕う何かがミシミシ軋み、
母の中でゾロリゾロリと何かが
蠢いているのを感じました。



ガンの治療を終え療養している父のことを
父の目の前で、
「一般的に余命は三年だって」
と母が言った時に
お世話が大変で父も闘病で
お互い分かってほしい
ストレスを感じているのかな?



と思いましたが、
母の[こうあるべき]という
娘は親に従うべき
苦労を分かりなさい、が
母も知らない間にムクムクと
湧き出ているんだな、
と思いました。


娘は大変な母親のはけ口


もうそれはごめんなので、
その形の協力は幼少期から
十分体験し学び、
さんざんヒステリーに
怒鳴られ叩かれた中で
サンドバックになりながら
お母さんが可哀想と思っていた
あのときとはもう違うんだから、
と、母の思いを素通りさせました。



私はね、自分の心を
天に向けて生きたいの。
愛と光と忍耐(天に向き続ける)で
生きていくから。


母は母のカルマ
(親と子の仲でも一人の魂と尊重する学び)を
いつか刈りなね、


そう思い帰ってきました。




母親が子供をはけ口にする、
それはきっと甘えているんだと思う。
(母親は無意識だけど)
けれど、その甘えは
同居している父や私の兄、兄の家族と
思いやりや親切で結ばれていないから
だと思う。



これを鏡に、
私は私の家族の絆を見よう。
実家の姿は我が身を振り返る
良い機会と感謝しよう。



母とは丁度良い距離感を
私が操作しよう。



今はまだ魂の段階が
そこに居たいんだね。



母の人生は母のもの。



私は母を尊重します。



今日もお読み頂きありがとうございました*花*








皆さんに喜び幸せが
たくさん愛とともに降り注ぎますようにwハート☆