将来の為に...心を脇に置いて |  なんとかなるさ

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川の流れのように

子間宮みかです。


生まれた赤ちゃんはただただ可愛い。
けれどだんだん自我が芽生えると
親は将来の為と躾を教えます。

生きるために必要な躾と、
本人が困らない為に必要な躾。
でもいつしか周りの子供と比べる
ようになり、

幼稚園保育園に行くことを
考える頃には自分でおトイレが出来るか
親が優劣の人の目を気にし出すころです。
なんせ親デビューして周りに
置いていかれないか不安で一杯。
親としての評価をどこかで感じるのですね。


それが子供が社会参加をする年になると
さらにその周りの価値観を過敏に感じ、

子供の気持ちより
社会的立場を重んじて
子供の心の手を離してしまう。

親は自分の存在価値を
社会にしがみついている訳ですから
必死なんです。

子供が躓いたとき、
それでも子供の心を守らずに
学校に行きなさい!
と目くじらを立てるのは
それがあるからです。


親は将来の為
と言いながら今を将来の為の時間と
子供に費やすよう
今の自分を感じ生きることを
脇に置かせて頑張るように言います。

そのいつかの為、
という呪縛にかかると解かない限り
大人になってもずーっと
その生き方をしていくのです。

周りの評価を自分の存在価値とばかりに
一生懸命生きても
定年退職してその枠がなくなった時に
自分の存在価値が見いだせず
自ら命を絶つ人もいます。
私の叔父もそうでした。

人との繋がり、
家族との繋がりが
社会的に成功した自分を認めて!
と生きてきたなら

歯止めにならなかったのも
理解できるような気がします。


それを必死に守り続けるのには
訳があります。

一つは
その生き方を辞めたら
社会から爪弾きにされてしまう。

そして親の目が
いつまでたっても自分を監視している
ように思っている。

そして
今を生きること、
自分の感情を感じることが
未知の世界で怖いこと。


本当に自分を大事にして生きることを
教えてもらっていず、
社会的に生きれることを
自分を大事にして生きることと
教わっているので、

社会的に遜色なく過ごせても
幸せという感情を
感じているのか居ないのか?
自分が感謝の足りない人間だからと
恵まれているんだと出来てる事を
数えたところで
やはり物足りなさを感じてしまう。


だからか私は不登校も生き辛いと
表現に出ることは
けして自分を見捨ててダメだと烙印を
押す生き方とは思っていません。

かえって人の評価に縛られた世界と
捉えているのなら
一度壊してしまえばいいとさえ
思っています。

社会を壊すのではないのですよ、
その呪縛、親の見捨てられないように
社会にしがみつく恐怖(ビリーフの連鎖)を
壊してしまえばいいと
思っているんです。

小さいことからだと、
人の期待に応えない
からはじめ
自分の感情を感じることから
やっていけばいいのです。

案外、社会は緩いところは
緩く対応してくれるものです。

そういう感性や生き方もあるよね、
という声を上げている人もいます。

お子さんが躓いても
守ってもらえた、
分かってくれた、という気持ちの方が
その子の支えとなって
巣から旅立つエネルギーになるでしょう。


小学校で先生に苛められ
円形脱毛になっても親に休むことを
許されず、

高校生になって過食症になり
それでも学校に行けと地獄の毎日に
扉を開けないよう抵抗し不登校に
なった過去の私。

いつかの為という今を脇に置いた 
親の生き方の教えの代償は
命からがらでした。


あの不登校という選択を
命がけでしなかったら
今、私は生きていないでしょう。

その選択をした自分を
誉めてあげたい。
よく、自分を大事にしたねっ!って。


子供の心までも取り上げて
生きようとする親の心。

自分の人生だけでは満たされない
集めても集めても乾いていく親の心。

けして子供だけの問題ではない
癒しが必要なのは親の方、
というのはこういう事なんですね。


静岡県富士市・三島

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