役割≠私 |  なんとかなるさ

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川の流れのように

子間宮みかです。


眠くて仕方のない日が続いていました。
満月の影響だったのでしょうか?

今年は中学のPTAの役員 
と地域の組合の組長当番で
なにやら余裕がない年度開けに
なりました。


と、まぁ
私一人の役割でも

母・子供・中学の役員・組合の組長…
と何通りもの役割をこなしています。

やりたくなくても
やらなくてはならないものもあります。

世の中に参加している限り
「私の自己世界には必要ないので
やりません」
とはいかないです。

今年はこなすことを
頑張ります。

とはいっても中学の役員は
数人を纏める役になり
中旬にある行事のことで
誰がやるかで少々手こずりました。

協力し合うにも
一人が拒むと他の人も
気持ちよく協力出来ない。
そんなやり取りの中、
自分が犠牲になれば…
という昔の癖を捨てました。

言いたいことは
言葉を荒げず筋を通して言わせてもらう、

最終的には拒んでいた方に
出来ない!と言い放つだけでなく、
出来ない理由を理解してもらう
ことで皆も協力しやすくなる事を
理解してもらいました。

と、
役割ばかりに囚われ
自分が役割に侵食されていくのも
違うように思います。

色んな役割がある中、
世の中での役割にばかり
気を取られると
自分自身がその役割自身だと
思い込んでしまいます。


役割といっても
ピンからキリまであるのですが、
精神を病むような役割というのも
あります。

昔の私の例をあげると
こんな役割もあります。

「親を困らせる迷惑な娘」
生まれてきて存在していてごめんなさい。
という感覚を持ちながら
家族の中で生きていました。

愛着障害に悩まれている方は
そのような感覚を持つ人も多いのでは
ないでしょうか?

家族の中の役割が
生きる上での自分の立ち位置になる。
自分の存在を役割で撲殺して
しまっている訳です。

でもどこかで
本来の自分を知っている。

愛着障害の克服は
何段階もの気付きが必要です。

私は私、
親との関係の立場≠私
なのです。

この強烈な思い込みを
本来の自分とは違う、
"あぁ私はそんな生育環境だったから
そんなパターンを
身に付けてしまっているんだ"

と、感情の解放に取り組むと
良いと思います。

その感情の解放と同じくして
本来の自分を感じること、
余力がある方は瞑想が
大変お勧めです。
(苦しみの真っ只中の人は
役割にノイローゼのようになっているので
難しい)

私は腹、丹田が本来の自分を
知っているのではないか?
と、私の持論ですが
そう感じています。

親との関係で悩む。
魂的には大変難度の高い
魂が磨かれる
試練を課して生まれてきた、
と聞きます。

そして克服は出来る!
自分を生きる上で
どうぞその試練を選んだ魂の
持ち主であるということを
忘れないで下さい。

役割≠私

本来の自分に戻りましょう。


心理カウンセリング・セラピー
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