リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みかです

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馴染みのある自信のない自分に
戻ってしまう。
昨日はそんな日でした。
いくら出来てる条件を貼り付けても
自分の殻に張り付けるだけで
私自身の寂しさには何も響かない。
外身はふてぶてしくても
中身は不安だ。
その自信のない自分でいる利得は?
と心に潜る。

今日の夜、
町内の所属する組で
中学PTAの担当役員決めがある。
いつもこの役員決めで揉める。
穏やかにいられる昔からの
付き合いの人達は隣の組。
なんでか私の場所は
昔から厳しい山岳地帯のような
そんな場所ばかり。
力でねじ伏せ
いざこざを起こす人がいる
私のいる町内の組に
回避の私は所属したくない。
でも嫌々行かなければならない。
それが重い原因だと思う。
子供が籍を置いているとはいえ、
様々なパーソナリティを持った
親の集まりは何年経験しても
苦手である。
今から感覚を鈍らせ
嫌だという感覚も感じないようにしつつ
どこかで自分を不安に陥らせている。
人からどう見られるか、
それが怖いし面倒くさいんだと思う。
さっき
"出来てる条件を貼り付けても"
と書いたが、
"出来てる条件"を並べ始めるときは
私自身が心の拠り所がないと感じる時だ。
ないから武装するために
条件を張り付ける。
そんな価値観で物差しを当てられていると被害者意識になっている。
自分が自分をその価値観で
はかっているんだ。
たぶん行ってしまえば、
やりたくなくても
やらざるを得ないならばやる。
今の私の問題は自分の所在より
自分が自分をどう捉えるか
自分を励まし、ありのままの私にOKが
出せるかなんだと思う。
そんな揺れている自分が未だ成長していないんじゃないかとまた情けなくなる。
もういい加減こんなことやっているのを
辞めたいと思いもがく。
どんな時でも
どんな場所でも
そんな張りぼてでない自分、
私自身を確立したい。
自分を信じる=の自信をつけていきたい。
人の価値観がきつく感じられる場所、
そこに行くしょうがなさ、
そこは母が世間に劣っていると感じた私を
恥とおもっていた場所の延長。
だからその馴染みのある昔の私を
役割として持ち出すのだ。
もういい!
いらない!
必要ない!
新しい私に歩き出したんだ。
悶絶して北風が吹き抜ける私でも
安心安全を感じられる場所☆が今はある。
ここで習っていることを
実践していくんだ。
一歩一歩
進んで行くんだ。

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