人に近づくのが怖い、
居場所がない、
消えていなくなりたい
・・・
人を回避してしまう、
回避性パーソナリティ障害の
心の仕組みを研究中
静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みかです


画像をお借りしました。
親は産まれた子供に
" 思いやり "のある子に
育ってほしいと願います。
思いやりで結ばれた交流を
子供に望む事は
親自身もそんな世界(心の)に居たいな、
と思っているからなのでしょう。
それが大人になると、
"世の中そんなに甘くない"とか
"現実を見ろ"
などといってシビアな世界に
迎合するようになってしまいます。
東日本大震災の後、
誰も彼もが人を思いやり
優しさを分け合いたいと
そんな世界がその時、広がりました。
それはまさに
誰もが持つ、
人の原点の優しさだったのでは?
と思います。
子供が生まれ、
はじめはそんな思いやりを
持った子に育ってほしいと接し
育てます。
けれど今までの人生で
身近な愛情を得たいと思う人に
欲しい愛情をもらえず
裏切られ、信じられず、
自分自身にも閉じてしまっていたのなら
子供に
"思いやりと見せかけた世の中の
効率のよい渡り方"
(親の背中を見て学んだ)
を教えてしまうのだと思います。
その効率のよさとは
世間一般とか
世の中でもてはやされているもの
(高学歴や高収入など)になること。
そんな人物になれば
人に邪気にされない扱いを受け
優遇される。
これを多くの大人達は自分へ向けられた
思いやりと解釈するのではないでしょうか。
そして、
はたまた
高圧的に怯ませる方法でビビらせ
何も言わせねーよオーラ
を身に付けるなど、
そうやって他人からバカにされず
怖いと逆鱗に触れないように
低姿勢で逆らわないような対応を
されることを、
持ち上げて へつらってくれると、
それを自分への"思いやり"と
解釈する人もいるかと思います。
その思いやりとすり替えられた
世渡り術を教育方針とする家庭の中で
子供たちは目に光をなくし
何のために生きているのか
ぽっかり空洞を抱えて育ってしまうのです。
親という存在
子供が本当は自分の思う心で生きたい!
人とちゃんと向き合い
暖かい交流で繋がりたい!
と自分の心の虚しさと向き合うとき、
親という存在が自分の中で
立ちはだかります。
思いやりの交流を見せて
思いやりを育てる家庭ならば
良いのですが、
多くは
「あんなお父さん(お母さん)になるな」、「察しなさいよ」
と言った恐怖や罪悪感を
持たせることで
子供側から大人への
思いやりを強要される事が
多いのではないでしょうか?
なので恐怖や罪悪感で
繋がっている親との絆を
否定することは
自分の存在→愛されていたのか?
に繋がるので見たくないのです。
恐怖に従い
罪悪感を持っていたのなら
愛される、
子供は自分を誤魔化すことで
親の事情を汲み、
助けようとさえ思っているのです。
世間がそうだから。
抜きでる事で優遇されることや
強さを誇張し へつらわれること、
その流れは世の中で多くの大人に
支持され受け入れられています。
心を見ない流れ。
思いやりと言っても
解釈は十人十色。
あなたの育った家庭の
" 思いやり "は
どんな思いやりでしたか?

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