全部ほどいてみる |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

人に心を開けない、
人に近づくのが怖い、
居場所がない、
消えていなくなりたい
・・・

人を回避してしまう、
回避性パーソナリティ障害の
心の仕組みを研究中


静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト 
子間宮みか ですピンク薔薇


画像お借りしました。

私は感情型だと思っていたのですが
頭で考える派だったようです。


あーすれば、失礼じゃない。

こう言えば、こう捉えてくれるのでは?


先読みしてお膳立て。

これね、仕事じゃ
すごく重宝されるんですけど、

日常に使うと相手にしたら
好きで寄ってきてくれてるんじゃなく、
" こなしている "
ように思われるのでしょうね。

本心が見えない。


一昨日の木村貴子さんのセッションで
指摘され、私って喋ることを
頭で考えるよな、
とは知っていたのですが、
馴染みすぎて違和感がなかったデレデレ


相手がどう捉えるか?
相手を気持ちよくさせる言い方は?
相手と繋がるために使う方法は?

これが相手本意だということさえ
気付かずに自分の一部として
取り込んでいました。


考えたこともなかった。

改めて自分の中に降りてみると、


・・・



だって、

そうしなければ叩かれたもの。

そうしなければ怒った顔から
許しを乞えなかったもの。

そうしなければ私には居場所が
なかっもの!




そうか、そうやって私は生きる術を
着けてきたんだ。
このやり方で繋がらないと
生きてこれなかったんだ。


悲しみが込み上げてきた。
そんなにも無理して生きてきた
自分がまだ私の中に存在していた。



生き辛さはトラウマの中だけに
あるのではない。

身につけた馴染んだ癖や表現の中にも
生き辛さは鎮座していた。

ふわふわした違和感、
あるいは億劫とか面倒臭いといった
名前をつけ、
自分と人との間の置石となる。

普段、気後れ程度と片付ける
出来事の中にも影を潜めていた。


それが日常にも障害を期すと
回避性愛着障害となるらしい。




掛け違えたボタンのように
全部ほどいてみよう、

そうやって過去に遡ったら
母に行き当たり、

毛が逆立つような緊張の中、
母にそれさえもバレないように
ニコニコ良い子で小さい頃から
生きてきた自分がいて、


それが自分と思いやってきて、
その自分で何かをチェンジすれば
生きやすくなるのかと
思っていた。

大きなトラウマを取り除く
セッションを過去してもらい、


さて、どうすればいいのか?
天から次の行動を示す為に
誰かや何かが私に働きかけてくれるの?
それによって成長していけばいいの?

と、今気付くと、
外の世界任せだった。

自分が何をしたい・する
漠然とはあったけれど、
覚悟とか責任が伴わない、
小さい子供がアイドルになる~みたいな
夢うつつのような現実感がない
ふわふわした感覚があった。

いや、育ってきた中で
周りにそのようなモデルになる大人が
いなかったから
どう自分自身の感情と自己世界の
実現を合わせていくかの方法が
分からなかったのかもしれない。



核と思っていた自分が
母に怯え生きるために着けた
自分を削りながら生きる生き方で、
それを違和感なく続けていた。

自分の感情を置いたままの
幼い頃の自分を取り戻さないと
自分を削りながら生きる
自己実現しか自分の世界に反映されない。

いったん掛け違えてしまった
ボタンのように
ぜんぶ外さなければいけない。

そして掛け違えた一番最初の
場所をあるべきところに
掛けなければならない。



「あーすれば、失礼じゃない。

こう言えば、こう捉えてくれるのでは?」


この馴染んだ感覚を辞めることは
幼い私には生きていけない大きな恐怖
だった。

今の私は幼い自分(インナーチャイルド)
の為にも、一瞬一瞬を切り取って
自分の感情を選んでいるのか、

それとも自分を弱い虐げられる人間と
人に媚びる感情を選んでいるのか
見ていかなければならない。


その先に人との距離が近くなる
自分がいるのか、

今は正直
それがどんな世界か分からない。
経験してないから。

暖かい気持ちを差し出してもらっても
いつもどう受け取っていいのか、
受け取ってその後が分からない。
形でなく、気持ちが。

たぶん罪悪感、
"こんな私"と
ちゃんと気持ちで
受け取ってないのだろう。


人と深く繋がる・暖かさ・和む・・・

私には諦めていた所があった。

今は自分の感情で選んでいるか、
それを必死に見ていきたい。




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