生きるのが面倒くさい人 |  なんとかなるさ

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川の流れのように

静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みか ですピンク薔薇


最近投稿がすんなり行かないですえーん
投稿できますように。



「生きるのが面倒くさい人
回避性パーソナリティ障害」
著:岡田尊司さん



を読んでいます。


今月はじめに行った
リトリーブサイコセラピーの補講で
やってもらったオープンセッションでの
私のキーワード

"面倒くさい"

このたいして問題視しないような
"面倒くさい"と言う言葉、


この本をめっちゃ食い入るように
読んでます。

では、今回もこの本より抜粋して
書きたいと思います。
お付き合い頂けると嬉しいです~音譜

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人と顔を合わすのが面倒くさい、
頑張るのが面倒くさい、
期待されるのが面倒くさい、
学校に行くのが面倒くさい
決めるのが面倒くさい、
社会に出るのが面倒くさい、
恋愛が面倒くさい、
家庭や子供を持つのが面倒くさい、
人に頼るのが面倒くさい、
生きるのが面倒くさい、




「面倒くさい」の根底にあるのは

我々は様々な形の「面倒くさい」を抱えやすくなっている。
面倒くさくない人にとってはどうしてそれくらいのことがと思うようなことでさえも人間をやめたくなるほど不安で仕方がないと感じられてしまう。

そんな人がごくわずかだけいるというのならそれはそれはその人だけの問題で片付けられるのだが、「面倒くさい」にとりつかれた人が何十万人、いや何百万人、
ことによったら何千万人いるかもしれないと、これはその人が怠け者だとかやる気がないだけだなどと言って片付けられなくなる。



[浮かび上がる三つファクター]


一つは
完璧で理想的な自分や華々しい人生を望み、それ以外の不完全な自分や平凡な人生なら生きるに値しないと考えてしまう傾向だ。完璧な理想にとらわれ自分が特別でなければ満足できない傾向は「自己愛性」と呼ばれる。


もう一つは
生まれてきたことや自分が存在すること自体に意味や価値を見出すことが出来ず、
虚しさや絶望に陥ってしまう傾向だ。
自己否定を抱え、自分は誰からも愛されないと思い、自己破壊的な行動をとってしまう傾向は、「境界性」と呼ばれるが
境界性が強まった状態では能力に恵まれている場合でさえ、空虚感や生きることへの違和感が拭えず、何もかもが面倒になり投げ出してしまいたくなる。



自己愛性家境界性も非常に現代的な問題であるが、もう一つ急増しているものがある。
 それは生きることに伴う苦痛や面倒ごとから逃げようとする傾向で、最も本来的な意味で、「面倒くさい」心理が病理の根本にある状態だ。
人の世の煩わしさから逃れたいという願望を持ち、現実の課題を避けようとする傾向を「回避性」という。

生きるのがめんどくさい状態を考える場合、死んでしまいたいと言うほど切羽詰まってはいないが、せっかくの人生を、
生きながら降りてしまっているような生き方をしてしまう。実際そういう人が増えている。
まさにそうした状態と関係が深いのも回避性である。回避性パーソナリティ障害は、自分への自信のなさや、人からバカにされるのではないかという恐れのために、
社会と関わる事や親密な対人関係を避けることを特徴とする状態である。


********


岡田尊司先生も、生きるのがとても
面倒くさいと感じた時期が長くあり、

どうしてここまで無気力で、やるべき事を避け、何もしないのに疲れていたのかと思うほど何をするのも面倒だったときがあったそうです。

だからこそ、今先生のところへ来る患者さんの気持ちが手に取るようにわかる。
(岡田クリニック院長)
そう書いてありました。


今回、この本を手にし、
自らの体験を克服し、先を歩く人の作った道を見習いながら歩かせてもらっている事に、とてもとても嬉しく、感謝の気持ちが溢れてきます。

なんで私ばっかり!と拗ねていたのが
恥ずかしいデレデレ


読んでいる事が楽しい、そして熱くなってくる。
自分の課題がこの道を学ぶ事なんだと
思います。


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