自分で自分を救いに行くって決めてね! |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みか ですピンク薔薇

昨日は浅間神社にまたまた
お参りに行ってきました。



少し前に同期のもーちゃんが
ブログでおすすめしていた本↓


ブログを読んで
この本を以前読んだ時の
痛みがまた思い出され数日間、
心に突き刺さっていました。


本の内容は虐待を受けた子と
その子達を受け入れるファミリーホームの実話なのですが、

いったん育児を放棄されているのに
心や体が痛くても
実の親が迎えに来たら
また傷つくだろうと大人側は心配する中
戻って行く子もいる。


そういう子はお母さんが
恋しいばかりに
いつか本当の愛情がもらえるのでは
ないかと飛び込んで行ってしまうのです。
そしてズタズタに傷ついて戻ってくる。


じゃあ、この子達はいつ救われるの?


虐待が行われていたら
強制的に引き離すことも出来るけれど
それでもお母さんを恋しいと
思っていたら心までは引き離せない。

いつ救われるの?

と思ったら心が
痛い痛いと叫んでいました。



浅間神社にお参りにいき
湧玉池に手を浸し
少しでも心の痛みを流せるように
お願いしてきました。


親からの虐待やネグレクト、
そういった愛情に飢えて
違うなにかで埋めようとしている人も
たくさんいる。

それが違法なことであっても
自らを滅ぼすことであっても。



湧玉池に手を浸しながら
浮かんできた言葉は
「それを望んでやっている」
という言葉。

本の中の子供も、
自ら滅ぶような生き方の人も

「それをどこかでダメだと思いながらも
望んでやっている」

本当はこれをやったら自分はダメになる
そう分かっていても 
その時の快楽を利得としているなら
仕方ないこと。

ましてや子供のように
痛みよりも母性を求めることを
止めさせることは難しい。

やめな、行くな、
そう言うことは言えても

心を決めるのはその人自身でしか
出来ない。

私自身の事のように苦しいけれど
私の事ではない。

その人が自分が自分を救いたいと
思わない限り
他は何も出来ない。

じゃあ、見殺すの?
罪悪感が出てくるのは
まだ自分が救われてないから。


見殺すと見守るの違いは
なんだろう?


縁があって言っても諭しても
それを選ぶのなら
それを選ぶ事を分かりながらも
祈るしかないのかな、

と思いました。


だからね、
「自分を自分で救いに
行こうよ!」

拗ねてないで卑下してないで、
いや、拗ねながらでも、
卑下しながらでも、
自分を救いに行ってね。


自分を救いたいと決めた人には
いくつもの手が差しのべられるから。

自分で決めてね、
私は自分を救いに行くって。







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