リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みか です

我が家は賑やかです。
私はどちらかというと本を読んだり
ブログを見たりしながら
時々話に入っているのですが、
主人が"大人になってはいけない"
ビリーフがあるんじゃないか
と思うのですが、
子供達より先だってアニメやテレビの
情報を入手し話題が合うので
子供達と主人はなんやかんや言いながら
ワイワイしています。

そして先程大会の会場まで
送っていきました。


今回は行くと出掛けていきました。
下社までは私も行った事があるのですが、
山頂の本殿?私も行きたかったな~

思うので、迎えに行ったら
長女と次女が映画
「 TOO young TOO DIE!」
を見たいとのことなので
その足で映画館に行きます。
なんでも長女は桐谷健太と神木隆之介が
好きとのこと。(私は映画は見ません)
みんな、「これがしたい」「これが好き」
を叶えて行くなか、ママ業は足に使われ
自分の時間が取れない

いつかこの穴埋めを!
と目論みます

我が家でやりたくないものは
しない!と筋が通っているのは
次女です。
不登校ですが
近所の本屋と駄菓子屋さんに
普通に買い物に行き
学校には自分で「行かない」
と選択しています。
好きなことしかしない。
学校に行っていない引け目は
家族に対しては持っていない。
でも彼女は大丈夫だと
思うのです。
「私はOKである・
今のところ他人は時々OKである」
まだ経験で変わってくるだろうし
色々考えているよう。
「根拠なき自信」みたいな物も持っている。勉強が出来る出来ない、
世間の常識に合っている合っていない
の秤で計れないところの自信。
この間、神社に一緒に行った時に
参拝している次女を見たら
神様にちゃんと意識が向かっていたので
"神様と次女"の間でちゃんと自己を
見れるから大丈夫だ、
と思いました。
主人と私、結婚したての時は
若い夫婦が世間に新参ものの家族として
・迷惑かけないよう
・後ろ指さされないよう
・愛想よく近所の方から可愛がられ
そうやって居場所を得るものだと
思っていました。
それは逆を言うとご近所さんに
村八分にされる恐怖を怖れていたから
でした。
だから子供が小さい頃は
世間の常識から外れる子育ては
村八分にされる
という怖れがあり
とにかく子供が駄々をコネすぎて
「育て方がなってない」
と言われるんじゃないか、
風邪をよく引いていたときに
実際に向かいのお爺さんに言われたけど
「風邪ばかりひかせて、体調管理を
ちゃんてママがしてあげないからだ」
言われて責められるように感じました。
子供は風邪を引かないと
免疫がつかない、あの時期の子供が
しょっちゅう係る風邪はしょうがない。
でも言って理解するようなお爺さん
ではないし・・・・
とその数年後、
自分に孫が出来て
よく風邪をひいてお爺さんにも移って
ダウンして、その時きっとわかったかな。
子育てを通じて
世間に若い夫婦として参入して
次女が不登校になったけれど
それによって
「ありのままで愛される」を
今は吸収しているようで
そんな姿を主人や私が見ると
すごく世間を怖がりすぎていたな、
特に私はそういう意味で両親には
罰せられてきたから
次女を見ると、
「居るだけで、存在するだけで
ありのままで私は愛される」
を目の前でやられるので
今までの原家族でついていた
その価値観という鎖が
だんだんほどけていく感じが
するのです。
そして鳩が豆鉄砲を食らったように
キョトンとする私が居るのです。
言うまでもないですが
ほどけた鎖は
家系の先祖代々受け継がれてきた
世間に対する恐怖です。
子供の発する
大人にとっては困った行動、
それは大人に対する
ありのままで愛される存在なんだと
気づくチャンス
なのかもしれないですね。
きっと私が
もっとありのままで私を愛し
幸せで生きたら
次女は自分の人生を後ろ髪引かれず
歩いていくのでしょう。
大人の恐怖が作った世界にNOと言い
(無意識)
染まらない!と動かず。
強い魂です。
次女から教わることが
たくさんな私です

きっと家族という集まりは
それら愛によって学ぶところ
なのかもしれないですね


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