「おしん」について |  なんとかなるさ

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川の流れのように

名古屋で参加した
みなりん & てんちゃん & ゆっかの
心が風になるかも♪新年会

で、てんこさん
なんかずーっと辛い
小さい頃からずっと辛いことばかりだった

という話をしたら

「おしんやめていいんやで」
「おしんやめぇ」

と言ってもらいました。


会う人によっては
私は苦労知らず、悩みがないように
見えると言われることがあるので
かなり色んな術(笑)を使いこなして
いるもよう。



この「おしん」にめちゃくちゃ
反応し、なんでこういう思考になったのか
ルーツをさぐっています。


母方の親類は祖父からして働き者で
心に問題が起きてもはね除けたり
乗り越え、勝つ、負けない、
言い負かす、見栄を張る、
体裁を考えすぎる 

母に関しては私を捌け口にする
ことでバランスをとっていたみたい。


そんな大人達にすごく怒っているのかも。
自分の感情をないがしろにしてきて、と。




母の親類は何か生きずらさを
この世の中の優越感や見栄を張る事に
変換することが美徳として生きてる方が
多かったような気がします。

その見ないようにしてきた
結果が歪んで出てきたのか


一人の叔父さんの孫娘は
自殺未遂を繰り返して
精神病院に入れられたと。
幼少期に2回程しか会ってない子だけど
リストカットがやめられないと
母から聞いた時に手紙のやりとりを
数回した。
私には何もできなかった。それが悔しい
(今はどうなっているか知らない)


そして母の弟二人は自死してます。


一人の叔父さんは
大人の宴会より私達子供と遊んでくれる
とーっても優しい叔父さんで
私達はなついてました。

ある集まりの時
数人で手を重ねて一番下の手の人が
重ねた上の人の手を叩くと
いうゲームをしていたとき、
力加減を必ずする叔父さんだったのに
腫れ上がる程、バシンっと。
当時一番ちびだった私は数回叩かれ
泣きました。


それから何年もして
亡くなった時、なぜ?と奥さんをはじめ
母も含めた親類全員、
叔父さんの封じ込めていた
怒り・悲しみ・苦しみを
ちっとも知りませんでした。


あの時、叔父さんが私の手を
バシンっと叩いたのは
心の悲鳴だったのかな、と今は思います。

この叔父さんが亡くなって
その連絡が来る前に
私のところに死神様?と一緒に
挨拶に回っているのを
鳥肌と髪の毛と腕の体毛がぶわーと逆立ちする程の今まで味わったことのない
「死」を感じ、第3の目?でぼやーとおじさんの頭部と黒い闇の存在が見えました。


もう一人の叔父さんの時も
連絡が来るまでの三日間、
きっと死のうか思いとどまるか、すごい苦しみの時だと思われる時に
私のところに何かが来ていました。
夜中、押さなければ動かないおもちゃの
音楽が「いる」と思われる方から鳴り

遅番で夜中に帰ってきた旦那に
何かがいる
と怖くて訴え、叔父さんが亡くなった
電話を母からもらった時に
あぁそうだったのか
と理解しました。



そんなことが多々あり
人生のこと
生きることに重すぎる考えに
なっていったんだと思います。



人の分まで背負わなくていい

人を可愛そうと思わなくていい


でも起きることに私は
どうすればいいの?!

やるせなさ、力のなさ、
そんなのを勝手に背負ってました。
 
 
それが「私のおしん」なのかなぁ。


だから、
傲慢とわかりながらも
勉強して「大丈夫だよ」
と言える心の仕組みを学ぶ。


それとてんこさんの

「おしんやめぇ」

は、そんな事があっても
おしんにならなくていいんだ
と言う事。

色んな事をあちらの世界の方から
経験させられるけど、
「そうなんだー」ってふにゃふにゃ
って顔で仁さんみたいに言っておきます。
言っていれば中身が
追いついてくるでしょう。


その「そうなんだー」
に含まれる「この人は大丈夫」の信頼、
すごいな~。

きっと生きていても亡くなっていても
あなたの魂はそのままで愛されていて
素晴らしいんだよが言えるように
それ、もっと学びたい!



これからは「おしん」やめて
「素晴らしさを知ってるワクワクさん」
になりますラブラブ


















色んな風に感じる私がいて
小さい頃から人の感情読んで
合わせる事をしてきて
自分がその場その場で違うように感じ
てしまって自分が分からないとみなりんに
言ったら


「全部が私」で
いいんじゃない?

って言ってもらい


今朝のみつろうさんの記事でも

ブレない生き方より、ブレ過ぎてほぼ魔球

と書いてあり、タイムリーで
宇宙の恩恵をかんじちゃいましたUFOラブラブ