今日は祖父の命日ニコニコ
昔の記事(2020年の記事)を編集して再アップです看板持ち
  
 
ザマジックの感謝ワークを始めましたにっこり
祖父への感謝。


 
祖父はちびまる子ちゃんの友蔵さんのような人でした。
 
私はまるちゃんのように、とにかく甘やかされて笑、可愛がられていました泣き笑い
 
 
中学生の時に、誰からも愛されてないと感じていて、自分は必要のない人間だとか生きている意味があるのかとか色んなことを考えて生きていました。
  

 
相当の反抗期で父と母だけでなく、妹にも、一緒に住んでいた祖父や祖母にも相当心配をかけ、沢山傷つけました。
 
 
そんな時に、私は『おじいちゃんだけは絶対に私の味方だ』と思っていました。
 
 
おじいちゃんの存在がなかったら、全く家族からの愛が見えていなくて勘違いしまくっていたあの頃の私は本当にどうなっていたのかなと思います。
 
 
そんなおじいちゃんに私は甘えまくりでした泣き笑い
   
 
おじいちゃんの毎月のお小遣いから、沢山お金をねだったり…
学校まで毎日送り迎えしてもらったり…
友達の送り迎えまでしてもらったり…
 
しかも当時は思春期真っ盛り泣き笑い
学校に行くと嘘をついて、学校に行かず遊びに行っていました。
おじいちゃんごめんよ。
 


 
三男が生まれた時♪

  
それでそういうことを一度謝りたくて、祖父がまだ元気な時に手紙を書きました。
 
 
色々今までしてきたことを書いて『ごめんなさい』と書いたんです。
 
 
それから何日かして祖父に『手紙読んでくれた?』と聞いたら、『読んだけど何書いてたのか忘れちゃった』と笑っていました。
 
 
近頃忘れやすくなっていたので、『えぇ〜あんなにドキドキしながら書いたのに〜』と思いましたが、
 
今思うのは、きっとあれは祖父の優しさだったような気がします。
 
 
私は祖父に申し訳ないことをしたとずっと思っていて、その気持ちをどうにかしたいと思っていました。
だけど祖父はそんなこと気にしていないというか、孫にひどいことされた!なんて全く思っていなかったようにずっと感じていました。
 
  
なんだかそこですごく気持ちに差があるような気がして、私の罪悪感をどうしたらいいのだろう…と思っていたけど、
 
それこそ祖父の愛を取りこぼしていたんだなって思ったんです。
 
 
私が謝るべきことは
 
お金を沢山もらったことや、送り迎えをしてもらったことや、嘘をついていたことじゃなくて、
 
祖父の愛を取りこぼし、心からちゃんと感謝していなかったことだと感じました。
 
 
 
  
この日は月がオレンジ色で次男が『お月様みかんオレンジみたい』と言っていました。キレイだったな。
 
  
 
 
祖父は今入院しています。

 
 
祖父が病状が悪化した時に
私は病院の階段を登りながら
  
 
『神様、これが最後のお願いです。もう何も神様には望みません。なのでもう一度おじいちゃんと話をさせて下さい。私はもう神様には頼りません。欲しい物は自分で取りに行きます。だからおじいちゃんともう一度話をさせて下さい。』
 
 
そう願いました。
 
 
   
  
 
祖父は私に色んなことを教えてくれました。
 
戦争の話も沢山してくれました。
 
色々なところに旅行するのが好きだったので、色んな国の話も聞きました。
 
 
かまぼこ屋さんで社長として働き、
 
色んな商品を開発しました。
 
 
今では普通に売られているこの赤いウィンナー。
 
  
 

これを開発したのは祖父です。
 
 
  
どうしたら売れるのかすごく考えて、中身に色んな食材を入れてみたり、外側の色も色々試してみたらしいです。
  
 
『赤い色にしよう!』と実際に作ってみたら、工場から真っ赤な水が排水口から流れ、近所から苦情がきたり、これを生み出すのには結構苦戦したらしいです。
  
 
私は小さい時からこの赤いウィンナーの製造秘話を聞いてきました。
 
 
そして赤いウィンナーが完成し、色んなところに営業に行き、そしたら爆発的なヒット商品になったらしいです。
 
  
ちなみにこれも祖父が開発した商品↓
これはホタテの貝柱だけで作ったウィンナーで高価だからお正月だけしか食べられないよと言われていたので、私の中では幻のウィンナー笑
 
  
 
   
その後赤いウィンナーは爆発的に売れました。
 
だけど祖父は特許は取らなかったので、他の会社も沢山この赤いウィンナーを真似して販売したらしいです。
 
 
 
私はこの話を聞く時いつも
『なんで特許取らなかったの?!』とずっと思っていました。
 
『特許取らないなんて損じゃん!』
 
『もったいない!もっと儲かったかもしれないのに!』
 
恥ずかしいですが本気でそう思っていました。
 
   
 
祖父の父(私のひいおじいちゃん)もアイスキャンディーを始めて作った人です。
(新聞も実家にあります)
  
がりがり君みたいなアイスに棒が付いているものです。
 
 
 
その時、祖父の父も特許を取らなかったらしい。
  
それでみんな真似をして作り始め、今じゃ当たり前の商品になっています。
 

なので、アイスキャンディーも赤いウィンナーも、
誰が開発したのかなんて誰も知らないし、みんな真似をして、今ではそれが当たり前になっています。
 
 
 
私にはこれが全く意味が分からなかったんです。
 
  
だって特許を取ればもっと儲かってもっとお金持ちになっていたかもしれないし、
 
開発したのが祖父と分かれば、有名になれたかもしれないし、注目されたかもしれない、
 
みんなから注目されて特別な存在になれたかもしれないじゃない?って。
 
 
だからずっと祖父が特許を取らなかったことに意味が分からなくて、なんてもったいないことしたんだろうって思っていたんですね昔の私は。
 
  
 
 
しかもおじいちゃんが有名になれば、もっとお金持ちなれば、私も有名になれるし、お金持ちになれるし、私が特別になれたかもしれないのに!という何ともがめつい思考からの発想でした。

 
 


沢山抱っこしておんぶしてくれました。
  
 
 

でね、
 
 
祖父がまだ話せる時に私は聞いたんです。
 
 
『なんで特許を取らなかったの?
みんな真似してもいいと思ったの?』
  
『特許取ればもっとお金持ちになれたかもしれないし、もっと有名になれたかもしれないじゃん』って。
 

祖父は『うん』と頷いてこう言いました。
   
『みんな真似すればいい。みんな真似をしてみんなに美味しいって喜んでもらえたらいい。』
 
 
 
私は涙が出ました。

 
  
 
何て大きいんだろう。
 
何て大きいんだろうおじいちゃんは。
そう思いました。
 
 
 
 
試行錯誤して時間もかかって発明し、自分で歩き回って営業もしてきた商品。
 
 
そんな大切なものだからこそ、私は特許を取るべきだと思いました。
 
 
 
でも全然視野が違う。
 
 
そもそもおじいちゃんの願いはそこじゃない。
 
 
 
『沢山の人に喜んでもらえること』
 
ただそれだけだったんです。
 
 
 
だから誰が発明したとか、どれだけ時間をかけたとか、どれだけ努力したとかそういうの人に自慢したい訳でも伝えたい訳でもない。
 
 
『私が生み出したんです!』なんて知られなくてもいい。
 
 
沢山の人が『美味しい』って喜んでくれること。
ただそれだけだったんです、祖父の願いは。
 
 
でもね、しっかりと自分で自分の努力や情熱を認めてるんだと思うんです。
 
  
だから私にも沢山話してくれたんだと思う。
すごーく嬉しそうに楽しそうにいつも話してくれていました。
 
 
そしてこのウィンナーが開発されて爆発的に売れたのも、祖父は自分だけの力ではないことを分かっていました。
 
会社の人たちや祖母にもとても感謝していました。
  
 
だからこそ、祖父の願いは叶えられ、
 
今もスーパーに行くと色んな会社の赤いウィンナーが販売されている。(会社によって味はちょっと違うらしい…)
  
みんなが美味しいと食べています。
 
  
これこそが繁栄ですよね。
 
 
そのおかけで、今まで何人のお客さんが喜んでくれたんだろう。
 
どのくらいの会社が赤いウィンナーを真似して作ったことで会社が繁栄したのだろう?
  
 
そしてどのくらいの人に給料を渡せたんだろう?
 
 
これはものすごいことだと思う。
   
 
赤いウィンナーを開発したのは祖父だとは誰も知りません。(家族や一緒に働いていた会社の人は知ってるけど)
 
でも祖父の『沢山の人に喜んでもらいたい』という願いは叶い、祖父は退職してからも会社から大切な存在とされていました。
  
 
退職してからも指導員として会社に行っていたり、毎年会社から色々な物をもらっていたり、祖父用に用意してくれた高級車があったり…
今でも年末には会社の人が家に訪れるそうです。
 
 
祖父は昔はものすごく貧乏で大変だったようですが、私はお金持ちの祖父しか知らないです。
  
 
 
これは全部祖父からすると『おまけ』なんだと思う。

 
  
 
先程の私の『特許を取らないなんてもったいない』という言葉。
 
あれこそまさに優越感と特別感。
勝ち負け(損得)の思考。
 
そんなものは小さすぎる泣き笑い

 
 
 
 
祖父の1番欲しい物は
『沢山の人に喜んでもらえること』でした。
 
それが願いでした。
 

 
 
 
だからこそ、祖父の開発したの商品は今でも沢山の人に愛されているんですね。
  
 
この時あまりにも私がちっぽけで、恥ずかったし、祖父に本当にごめんなさいと思いました。
  
 
祖父の大きな大きな愛と情熱と、なんだか色んなものを感じて涙が止まりませんでした。
 
 
祖父の偉大さをすごく感じました。
 
  
繁栄
 
循環
 
 
ってこういうことなんだよねきっと。
 
 
 

   
 
祖父はしっかり自分のことを認めていました。
 
 
人に『すごいね!』って言われたり、注目されたり、特別だと思われたい!とか、外側(人)にそれを求めようとせず、
   
 
内側で、しっかり自分で自分のこと認めてたからこそ、そうやって考えられて、本当の願いに目を向けられたんだと思うんです。
  
 
 
だから、あの頃の私がダメとか優越感や特別感がダメとかそういうことを伝えたいんじゃなくて、
自分で自分のことを認めてあげるっていうことが、繁栄に繋がるんだなと。
 
 
祖父はそれができていたんだと思う。
 
だから外側に注目や特別感を求めることにエネルギーを使わなかった。
 
沢山の人に喜んでもらいたいという本当の願いにエネルギーを使えたんだと思うんです。
 
  

自分で自分のこと認めてあげらないと、優越感や特別感は欲しくなる。
それが欲しいってそこにエネルギー使っちゃうんですよね。
人に認めてもらうために必死になる。
それは本来の願いとはズレてるからおかしなことになりますよね。
 
  

そもそも私たちって生きているだけで特別。

祖父みたいに商品開発していなくても、みんな特別な存在です。
 
 
 
 

本当の願いは優越感や特別感ではないですよね。
 
だからこそ、自分のことをちゃんと認めてあげてほしいなって思う。
 
私自身に向けてもそう感じています。

 
 
 
去年のこと、夫が独立をして間もない頃、なかなかお店に人が来なくて通販でも商品が売れない時期が続きました。
 
私も講座を開催しても申し込みがない日々が続いていました。
 
 
私はどうしたらいいのか分からない状態でした。
この先どうなるんだろうと不安でいっぱいでした。
 
 
そして祖父の病院に行ってぼそっとこう言ったんです。
 
 
 
『おじいちゃん。お客さんが1人も来ない。どうしたらいいの…』

   
 
その時祖父は出しにくそうな声を一生懸命出してくれて私にこう言ったんです。
 




 
『怖がらずにやってみろ。
お客さんは待ってるから。』
 
 
  
この言葉は私の宝です。
 
 
 
その言葉をいつも唱えています。
 
 
それからどのくらいか経って、夫の会社の商品も売れるようなってきて、私も講座でお申し込みを頂けるようになりました。
 
 
私は講座が終わった後に祖父のところに行き、
『おじいちゃん!おじいちゃんの言う通りだった!待っててくれてた人がいたよ!ありがとう!』と言いました。
 
そしたらもう話せなくなっていた祖父は強く私の手を握ってくれ、目を少し開けてくれました。
『う"ー』と少し声を出してくれました。
  
 
『声が聞けた!』『奇跡だ!』『やった!よかった!』って長男と喜んだ。
    
 
いつもおじいちゃんは私に何かを伝えてくれる。
教えてくれる。喜んでくれる。
どんな時もです。
 
 
コロナで面会できずもうずっと会えてないから、
早く会いたいです。
 
 
おじいちゃんありがとう。
 
 

 
2024年6月6日
生きている間にやりたいことはやろう。
そう改めて感じた祖父の命日ニコニコ
 
 
今も祖父には引き続きいつも見守られていますニコニコ
 
そして祖父のことを思うと
ずっと祖父を支えてきた
祖母の偉大さをすごく感じます…泣き笑い
 

悩むのも楽しいけど
悩んでいる時間ってもったいないですね流れ星
 
おじいちゃんのことを思い出すと
『失敗ってこの世にないんだな』と思えますお願い 
 
おじいちゃん!これからも見守っててね〜目がハート
 
 
最後まで読んでくださり
ありがとうございましたおやすみ