性描写へのとまどい 劇場版「Fate stay night」を観ました!その4 | みかんともブログ

みかんともブログ

このブログは、表現コンテンツが好きな人や表現活動に関心がある人に向けて書いています。
特にマンガ、アニメなどの二次元、音楽、ライトノベルが中心ですが、最近はポップカルチャーを詠む短歌についても触れています。
あなたも試しにご覧あれ(^-^)

劇場版「Fate stay night
〜Heaven‘s Feel 第二章〜」、内容を何も知らず、実際に劇場に足を運んだ人の中で、作中の性描写にとまどった人も少なくなかったのではないでしょうか?
 
肉体関係のシーンに自慰行為の場面など、
僕はかなりとまどいました。
 
Fete stay nightをゲームではなく、アニメ版でセイバールートと遠坂凛ルートで視聴してファンになり、今回の桜ルートの劇場版に至った者ですが、接吻以上のシーンはアニメ版にはなかったと記憶されます。
劇場版は思い切った構成にしたことだと思いました。
 
そして、見ていてかなり苦しかったです。
 
そうせざるを得ない、ヒロインにとても胸が痛みました。
 
気分の高ぶりはまったくなく、哀しさだけが僕を包みました。
その余波は後半ずっと続きました、見終わった後も。
 
思い返せば、Fateの源泉は2004年発売のゲーム版であり、それはR18のゲーム。
サーヴァントや魔術師同士が魔力を性行為などでも供給したともゲーム紹介サイトのページでは、記述されています。
 
その最初のゲームが、世界観や文学的格調から評判を呼んで、幅広い年齢に向けたゲームとアニメに再構成されました。
 
そんなマイルド化したいアニメ版から僕はFateの門をくぐったわけです。
 
今回の描写は、始原を考えれば、それほどおかしくはないと言えます。
ファンへの揺さぶりを図る目論見があるなら僕に対しては成功したと言えましょう。
 
また、改めて思ったのは、R18ゲームも時に深遠なコンテンツの源泉になりうるということです。
 
京都アニメーションのCLANNADやKanonしかり、ヨスガノソラ しかり、そしてFateも。
 
極端にエロスを否定するのは、表現の世界のシーズ(種子)を弾いてしまうようにも感じます。
最初のゲーム版Fateを官能ゆえに否定していたら、今のFate世界の隆盛はなかったのです。
 
とは言え、今回の劇場版は
 
かなり辛かった
 
と正直に書きましょう。
 
同時に第三章での救済を渇仰するという気持ちも記したいところです。
 
今の最大の感想はまた機会を改めて記したい思いますが、心を揺さぶるこの劇場版、確かに凄い作品に他なりません!
 
劇場版特典のパンフレットより 士郎の大きなハートに救いも感じました