お箸の奥深さ@マンガ「玄米先生のお弁当箱」 | みかんともブログ

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特にマンガ、アニメなどの二次元、音楽、ライトノベルが中心ですが、最近はポップカルチャーを詠む短歌についても触れています。
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「玄米先生の弁当箱」(脚本:北原雅紀 作画:魚戸おさむ 小学館)を読むといろいろ教えられることが多いなぁと感じることが多々あります。
第5巻では、お箸が取り上げられているのですが、僕の以前不思議に思ったことの答えが示されていました。

それは朝鮮半島では、食事の際、箸と匙を使うのに、朝鮮半島経由で箸による食事が伝来されたであろう日本では、どうして箸だけになったのかということです。今でも朝鮮・韓国料理では、箸と匙が付きます。
日本では汁物の器を持ってもいいから匙は不要という答えめいたものを得てはいたのですが、玄米先生の話でなるほどと思いました。


器が発達し、器から汁物を味わうようになり、その結果匙がいらなくなったというのです。

また、日本人はお箸に食べるための道具以上の意味を持たせたと玄米先生は言います。
お食い初め、延命や長寿開運のお祝いの箸、お骨を拾う箸、思えば、食事の道具以上の役割があります。

日本人の一生は
箸に始まり
箸に終わるんだ。

という玄米先生の言葉が胸に響きました。
また、割り箸を使い捨てにする理由にも触れていました。
マイ箸が日本特有の文化というのも興味深く思いました。

お箸って奥が深いんだなぁと改めて思いましたよ。
毎巻、教えられることが多いこの「玄米先生のお弁当箱」、一種の教養マンガにも思われますよ(^^)