なぜ恵と緋沙子が手本なのか?〜「食戟のソーマ」を読み直す 18〜 | みかんともブログ

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「食戟のソーマ」を読み直すの第17回で、

 

料理への姿勢や方向性で僕が手本とすべきは、

田所恵とそして、新戸緋佐子ではないかと感じています。

 

こう書きました。

ソーマや葉山アキラ、黒木場リョウは、力強さや華やかさがありますが、実際に作る際には現実離れしたところもあり、なかなか真似できないところがあります。考え方には共鳴するところも多いですよ。フィクションだからこそ、すばらしいキャラクターとも感じます。

しかし、恵や緋沙子はちがいます。実際にあり得るあり方でゃないでしょうか。

二人に共通しているのは、食べる者に対する思いやり。

恵は食する者万人に、緋沙子は特にエリナにという違いはありますが、食べる立場の視点にできるだけ立った料理が2人の手から生み出されます。

恵は素材が持つ味わいをできるだけ引き出すという方向で食するものをもてなし、緋沙子は薬膳という医食同源思想に持ちづいた調理で食する者の健康を気遣うのです。

ソーマのような試行錯誤や創意工夫もぜひ学びたいところなのですが、実際の調理では、素材の持つ旨みや心身への効果を引き出し、食するものをもてなす、こういう姿勢、僕が学ぶべきところではないかと直感されます。

あなたにはあなたなりの「食戟のソーマ」から吸収したい事柄があると思います。もちろん、範(のり)とするキャラクターもいろいろだと思います。

 

とまじめに論じてはいますが、野菜の下ごしらえやたまねぎのみじん切りすらままならない僕の状況なので、恵や緋沙子の姿勢を敬いつつも、やはり基本的な料理の仕方をコツコツと高めていくことが大事かなと考えるこのごろですよ~。