「賭ケグルイ」の主人公、蛇喰夢子はこよなくギャンブルを好む女子高生。
ギャンブルで敗北し家畜(ミケ)の地位に落ちたこともありますが、様々な賭博に勝ち抜き、学園でもひときわ目立つ存在となりました。
最新刊に当たる第9巻では、以前夢子と青天井の勝負をし、奈落の地位に落ち生ける屍のようになった豆生田楓(とうにゅうだかえで)と再会します。
彼は夢子に対してギャンブルで人を悲惨な目に合わせることに良心の呵責はないのかと問うのです。
すると夢子はこう答えたのでした。
良心の呵責を感じないことに
すこし
呵責を覚えています
と。
夢子にとってギャンブルは自然な営み、勝敗が決するのは、当たり前、いちいち敗者の行く末に申し訳ない気持ちを抱いていては勝負に徹することはできないのです。つまり、敗者に良心の呵責などは感じないのです。
しかし、人を賭け事で苦境に追い込んで、呵責を覚えない自分には、儒家の大家、孟子いうところの「惻隠の情」(人を気の毒に思う感情)が欠けていることには、すこし呵責を覚える。
なるほどと思いました。第9巻で最も響く言葉。
この言葉は、夢子のギャンブラーとしての、最大限の優しさなのかもしれないと思ったことでした。
あなたはどう感じますか?