こんにちは、マンガと蜜柑が好きな弾き語りパフォーマー美悍ともです。
「千反田えるへの応援が地方創生に 前編」の続きです。
なぜアニメ「氷菓」の主人公、千反田えるへの応援が結果的に真の地方創生につながるのか?
その前に最終話22話のえるの会話を紹介したいと思います。
祭りからの帰り道、えるは主人公折木奉太郎に歩きながら言います。
(千反田家の田畑のある引き継いできた暮らしを維持するため)自分は一人娘として商品価値の高い作物を作るために高校2年生からのコース選択を理系にし、大学で学んだ後に、この地に帰ると決めている、と。
そして、続けて美しい桜の木そばで自分の故郷についてこう言うのです。
見てください、折木さん。ここが私の場所です。
水と土しかありません。人もだんだん、老い、疲れてきています。私はここを最高に美しいとは思いません。可能性にも満ちているとは思いません。でも・・・・・・折れ木さんに紹介したかったんです。
「氷菓」を視てきたものなら、これがえるから奉太郎への精一杯の好意の表明だと気づくことでしょう。僕ももちろんそう感じ、互いに思う二人にほのぼのしました。そして、えるの生きる態度にもじーんとしました。
えるの会話には、そこには、飛騨高山に受け継いできた暮らしや故郷への慈しみがにじみ出ています。
10代のえるとって、山間の地方都市(飛騨高山市)にとどまる以上に、大きな都市へ出て、自分自身の大きな可能性を追求したり、華やかな生活を楽しみたいという気持ちもあるかもしれません。
僕自身がそういうところがありました。宮城県仙台市内の高校を卒業後、東京の大学に進学し、楽しい大学生活を志向していました。その後、海外を旅するようになったことがきっかけで、京都に移り住むことになったのですが、ある時期まで地に足のついていない生活をしていたことが今なら分かります。
しかし、えるは、故郷を「可能性に満ちていない」と認めながらも必ず故郷に帰って先祖が守ってきた家の在り方を引き継ぎ、何らかの形で貢献したいと奉太郎に決意を語っているのです。好きな奉太郎に自分のふるさとへの思いを知ってもらいい、地に足が着いた自分自身の思いと言葉で。
おそらく、えるは高校卒業後はいったん故郷を離れるにしてもある段階で戻り、千反田家を守りながら、故郷の課題に積極的に取り組み、よりよくしていこうと活動していくのではないでしょうか。
そして、えるのような気持ちで進路を考える、地元の若い世代を応援することが、イベントやキャンペーンなどの表面的な地域振興ではなく、本質的な地域の再生につながるのだと心から思われました。
もちろん、「氷菓」はフィクションです。「現実には、えるのような女の子はいないよ」「家を継ぐために故郷にいるなんて封建的だ(これは逆に「旧い」発想かもしれませんね)」という意見もあるでしょう。
しかし、東日本大震災の被災地の報道などからも、あるいは僕の日光市での体験からも、えるのような思いを抱く10代が少ないながらも存在すると実感しています。
そんな彼ら彼女らの思いを大切にしたい。何らかの形で応援したい。そういう人が増えるならば、おそらく予算をつけただけの一過性の事業よりも東京のコンサルティング会社にプランニングさせたようなプロジェクトよりも、ずっと本当の地方創生につながっていくのではないかと考えたことでした。そんなところからもこのアニメ「氷菓」はとても本質を突いた作品ではないかと思われます。
あなたが町に愛着を持っているなら、あなたの町にもきっと「える」はいます。そんな「える」に順風と幸運、あれ。