このステージはアンプやマイクが使えないうえに、地下鉄の音で声がかき消される時がありますから、声量が多いとは言えない僕は、通常のライブとは違った気合と工夫が必要です。マイクやアンプのありがたさを実感したりもするのですが、電気機材もなかった昔の人はもちろん生の声と生のギター音で人々を魅了したのですからそれを思って弾き語りをしたりします。
新聞で10月24日に京都市桂坂の野外の音楽広場「響きあういのちの舞台」で電気を使わないコンサートが開催されたことを知りました。森や畑を通じて自然に関わる活動をしているNPO法人「京都土の塾」が主催したもの。
会場は同会が市有林を整備し、切り出した木や竹で観客席を作ったそうです。スピーカーを使わず自然の音を生かした舞台で、森と親しみ、電気に頼らない暮らしの在り方をアピールしたとのこと。
この記事を読んで思い出した光景がありました。それは京都市内での原子力発電に反対するデモのそばを通りかかった際に、その賛同者が人の行き来が多い路上で弾き語りをしていました。その際、電気アンプとマイクを使っていたことに違和感を覚えたのです。
問題が山積の原子力発電を根底から支えてきたのは、電力会社や一部の政治家ではなく、電気に頼ろうとする暮らしの、電気を大量に消費する暮らしの在り方そのものではないでしょうか。反原発集会でも大きなステージならマイクやアンプもやむ終えないと僕も思いますが、肉声で届く距離の弾き語りなら電気を使わない方がいっそう共感できるのにと思ってしまいました…。
原子力発電の縮小と再生エネルギーの拡大は僕も賛成ですし、ときにアンプやマイクを使い、電気を大量消費する生活に浸かっている僕が、一生懸命、弾き語っている人を批判する資格はないですし、自分の主張を音楽に託す姿勢には共感も覚えます。
だからこそ、電気に頼らない暮らしをアピールするために、電気を使わない音楽会を開いた主催者が煌めいて見えました。敬意と拍手を送りたいですよ。
批判する者は多い。しかし、実践する者は少ない。 西田天香