5年前、両親を私の家に引き取った時、母は86歳でまだ元気だった。実家に住んでいた頃は、押し車を押して近所の畑に野菜を作りに行っていた。ところが、もうその頃には、認知症の症状が出ていたので、帰り道がわからなくなり、山の中に迷い込んだり、空き家の庭に入り込んだりして、近所の親切な方が家まで連れてきてくれたりしていたようだ。
父が入院中は、まだおとなしかったのだが、父が退院して、私の家に一緒に住み始めると、母は家に帰ると言っては大騒ぎした。
「家に帰っても、お父さんは、手術したばっかりで、長くは立っていられないし料理も作れないよ。お母さんは、ごはん作れないのにどうやって生活するの?」と言っても聞かない。とにかく、帰るの一点張り。
父と私で一生懸命説得しても聞く耳持たず。しまいにはヒステリーを起こして、物を投げたりした。母の帰宅願望はおさまるどころか、ますます強くなっていく。父は、どうせ1人では帰れないんだから、好きにさせよう。と言った。
母は、家を出て歩き始める。だが、ここがどこかも、どうやって実家に帰ったらいいのかも分からない。道を歩いてる人に尋ねる。
「〇〇〇に、行くにはどうしたらいいですか?」
「JRの〇〇駅までバスで行って、そこから電車に乗ったらいいですよ。」と、教えてくれる。親切な方は、ヨロヨロの母を見かねて手を引いてバス停まで連れて行ってくれようとする。父は、母のあとを少し離れてつけて行き、そんな親切な方には、「ありがとうございます。一緒なので大丈夫です。」とお断りする。
母は、100メートルも歩けないので、途中で座り込む。すると、父から携帯電話で私に、「迎えに来て!」と連絡が入る。私は、車で母が行き倒れている所まで行き、父と母を車に乗せて家に連れて帰るという仕組みだ。まるでマラソン大会で途中棄権したランナーを回収する車みたいだ。
私が仕事でいない時は、父は、母が行き倒れるまで歩かせ、休憩してまた家まで連れて戻った。
そんな事が何度も繰り返され、母は、自分一人で実家に帰る事は無理だとあきらめた。
そんな母の徘徊に辛抱強く付き合っていた優しい父は偉いなぁと思う。