坊っちゃん列車 | みかん一座のブログ

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愛媛のまじめなミュージカル劇団「みかん一座」のメンバー日記!

愛媛県松山市には、坊っちゃんと名前のつくものがたくさんあります。
夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台が松山ということで、坊っちゃんがいっぱい。
坊っちゃん団子、坊っちゃんの間、坊っちゃんの湯、坊っちゃん球場、坊っちゃん広場、坊っちゃん劇場、坊っちゃん文学賞、坊っちゃん列車。
坊っちゃん列車は、みかん一座のミュージカルにも登場したことがあります。1995年4月に公演した「春や昔、十五万石の城下の町で」。これは青年会議所全国城下町シンポジウムで上演しました。
若者が公園に置かれていた坊っちゃん列車に乗って、昔の松山にタイムスリップするという話です。


その中に、明治時代、松山に日本で初めて軽便鉄道を走らせた伊予鉄道創立者の小林信近翁の話もあります。町人達に反対されながらも、必ず町の発展に役に立つと、困難にも負けず、苦労の末に軽便鉄道を走らせたのです。1888年(明治21年)でした。


夏目漱石が松山中学に赴任したのが1895年(明治28年)。漱石は、軽便鉄道に乗り、後に小説「坊っちゃん」の中で「マッチ箱のような列車」と形容したことから、坊っちゃん列車として人々に親しまれるようになりました。
坊っちゃん列車は、当時は蒸気機関車で白い煙を吐いて走っていたそうです。
坊っちゃん列車は1966年(昭和41年)に、幕を閉じました。
しかし、再開を願う市民の人達がいることを知り、その夢をせめて舞台の上で叶えたいと思って書いたミュージカルが「春や昔…」だったのです。昔の坊っちゃん列車を参考にして作っていただきました。
そしたら、ミュージカル公演の6年後、2001年(平成13年)に、本当に坊っちゃん列車が松山の町を走りだしたのです。
バンザーイ、バンザーイ!
嬉しかったです!

それから22年にわたり、町を走り続けてくれた坊っちゃん列車。
昨日が最後で、当面運休になりました。運転手さん不足で、運行が難しくなったそうです。
ふるさとの人達も、観光客の皆さんも楽しませてくれた坊っちゃん列車。ありがとう!
また早く再会できることを願っています。