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遅咲きにもホドがある

【ばばあの一人旅入門】
初老にして一人旅に目覚めました。どっぷりと老人になり、持病に悩まされ、ヤサグレまくりながら生きています。

 

ま、まさかな


トイレというのは、まぁなんというか、文化の違いを顕著に感じられるものだと思う。

 

『ニーハオトイレ』で初めて中の人と目が合った時は、聞いてはいたけれど想像以上の衝撃を受けたし、

 

チェコのトイレットペーパーの質は新聞紙以下で、毎日、地味な割に精神的ダメージの大きい惨事が勃発した。

シリアでは、真っ暗闇の『ぼっとんトイレ』という、悲惨な死に直結しそうなトイレにも遭遇した。

モロッコのカスバでは死角という死角はことごとくトイレになっていたし、蓋の閉じた洋式トイレは高確率で中身がぎっしり詰まっていた。

 

この『中身ぎっしり洋式トイレ』については一言説明しておきたいのだが、要するにモロッコのおっさんたちは『洋式トイレ』の使用法が分からないのだと思う。
モロッコのトイレはたいてい『アラブ式』で、傍らに水槽または蛇口と手桶があり、用を足した後は手動で水を流すようになっている(尻も洗う)。
しかし、水洗洋式トイレには手桶も蛇口もない。
レバーは得体がしれないので触れない。上から金だらいが落ちてくるかもしれないからだ。
なので、用を足した後は蓋を閉めてこっそり立ち去る。
次の人も「ほう。こうするのか」と、やっぱり蓋を閉めて立ち去る。
そして限界まで溜まったらそのトイレは放棄して別のトイレを使用する。
そして、そのトイレの蓋を開けるのは毎度毎度わたしであり、その体験は清潔大国日本の国民である私の心に大きな傷跡を残すこととなった。
数年たった今でも、トイレの蓋を開ける時にはあの地獄絵図がフラッシュバックして指が震える。

 

 

 

 

私は少しの国しか訪れてないし、ハードルの高そうな国には一切行ってない。

アフリカなんかの村々を旅するバックパッカーの人たちが遭遇するであろうトイレに比べると、まったくもって屁のような体験しかしてないのだけれど。

それでも書かせていただきます。すみません。

 

 

 

ベトナムの小さな村の、地元のオッサンが昼間っから酒をかっ喰らっている食堂でランチタイム。

 

 

 

おかずとご飯を注文し、この比較的新しそうな店でトイレを済ませておこうと考えた。

 

女子トイレに入ると、ガランとしたセメントの床に一本の長い溝があるだけだった。

 

「おぅ?」

私はてっきり男子トイレと間違えたんだと思い、慌てて外に出てドアの表示を確かめた。

しかし、そこには女性用のマーク。

 

再び戻って改めて見てみると、溝の長さは3mくらいだろうか。

 

要はその溝をまたいで用を足すらしく、足置き場が3~4対、床に盛り上がっている。

ってことは、ここでは一度に数人が並んで用を足せるというワケだ。

 

以前に中国で、溝が掘ってあるだけのトイレには遭遇したことがあった。

 

けれどそこには、ドアはなくても前後の人との間に仕切りはあった。完全個室ではなかったけれど、区切られていた。前の人が流した物が自分の下を流れては行くけれど、それらを生み出すところは見えないようになっていた。

 

しかし、ここには何もない。ただ溝があるだけ。

 

しかも、ピカピカした真新しさが更に混乱を誘う。

確かに、ベトナムで一度オープン型の溝トイレを目にしたことはあった。

けれどそこには個室も併設されていた。

その時の私は、溝は子供用だと解釈し、混乱することなくちゃっちゃと個室を利用した。

 

しかし、ここには個室はない。ホースしかない。

 

大だろうが小だろうが溝一択。

いっそ潔いぞ!

 

 

この場合、溝の一番前に陣取るか一番後ろに陣取るか、非常に悩ましい。

 

 

前に陣取った場合、不愉快な光景や物を目にする確率は低くなるし、うまくいけば顔を見られずにやり過ごすことも出来るかもしれない。

しかし、かなりの高さの精神の壁を越えなくてはならない。

後ろの場合、ビジュアル的にかなりのダメージを喰らうのは避けられないし、入ってきた人に高確率で顔も見られてしまう。

その場合に自分が浮かべるべき適切な表情がわからないし、挨拶はすべきなのかどうかもわからない。

しかし、帰国した頃に羞恥心で死を選んでしまいそうになる確率は低くなる。

 

踏んだり蹴ったりな『真ん中』は論外である。

 

 

 

しばし腕組みして思案していた私だったが、1分ほどで「自分には無理だ」と結論を下した。というか我に返った。

 

 

のっぴきならない状態でもない限り、前だろうが後ろだろうがこのトイレを使うことは私ごときには無理だ。

ニーハオトイレすら乗り越えられない私に、このトイレが制覇できるわけはない。

なのに、妙に明るくて清潔だったことに惑わされ、もうちょっとで飛び級で成長するところだった。

 

私はしおしおとトイレを後にした。

 

 

テーブルには既に注文した品が運ばれていて(早っ)、どんぶりに盛られたご飯には尋常じゃないほどの数の蝿がたかっていた。

 

日本でなら確実に「こ、交換してもらえますかな?」と泣きつくレベルだった。

私は心を無にして、『かまくら』のように穴を掘り進んで、蝿がたかってなかったと思える内側のご飯だけをほじくって食べた。

しかし、ふと見ると、厨房のカウンターの上に大きなボールに盛られたご飯が見え、尋常じゃないほどの蝿がたかっていた。もはや灰色のご飯のようだった。

当然、私のご飯はそこから盛られたものだろう。

 

 

しばらくして、欧米人女性がトイレに入った。

 

 

私はご飯をほじるのも忘れて、思わずトイレのドアを凝視する。

なかなか出てこない彼女は、私と同じように固まっているのか、それとも平然と用を足しているのか。

いっそ偵察に…

と思わないでもなかったが、やはりその場での適切な行動が分からないので我慢しておいた。

ごく一部を箇条書きにしてみました。



◆ 飛行機が遅れる


この程度のスキルで対処できるかどうかすこぶる不安になる。他にも不都合が多数勃発。

乗継時間に余裕がないスケジュールだと完全にパニック。LCCだともはや絶望で気絶。



◆ 宿が悲惨


シャワーが水。シーツがいつから替えてないのか不明。排水が溢れる。何やら臭い。

宿泊客が自分以外全員現地のおっさん。隣人の屁はもちろん、鼻息まで聞こえる。

部屋に蚊がいる。ゴキブリ(大)がいる。ネズミがいる。何かいる(無理)。

   


◆ もちろん下痢


嫌というほど起きる日常茶飯事だが、凄まじいのは心底キツイ。尻も痛いし、先に進めない。

下痢の罹患率はほぼ100%だが、50%ほどの確率で風邪もひく。

鼻が詰まって食べる楽しみが大幅にカットされ、かなり凹む。



◆ 入場料や交通費がガイドブックに記載されている額より大幅にUPしている。


初心者ゆえに、本当に値上がりしたのかボラれているのかが分からない。

まぁ、十中八九…



◆ 勇んで出かけたらその日から長期CLOSE。またはその日だけ臨時CLOSE。


自分の不運に毒づきまくり、見境なく当り散らしたくなる。

そんな時に限って帰りの足が無かったりして、丸一日棒に振る。



◆ どしゃぶり。プラス暴風。


洗濯物が一気に増えたり風邪気味になったりと、いろいろテンションが下がる。

靴の中に入れるための新聞紙を手に入れるために一晩棒に振る。



◆ 頼んだ食事に何か混入している。が、言えない。または半分ほど食べてしまっている。


虫、髪の毛は日常茶飯事。得体のしれないものが怖い。

知りたくないので思わず飲み込むも、言い知れぬ不安が当分付き纏って心に影を落とす。



◆ もちろんぼったくり。


他人がぼったくられた話は一服の清涼剤だが、自分がやられた話は甚だ不愉快である。

ていうか、マジでたいがいにしとけよ。



◆ どうしても英語で質問しなければならない相手がものすごく怖い。またはメッチャ不機嫌。


この語学力では相手を更に怒り狂わせること必至。

相手の交代が見込めそうな場合、小一時間程度なら待つ覚悟がある。



◆ 陽射しの強烈な国でうっかり陽の当たる側に座っちゃう。しかも長距離移動。


カーテンなど無い場合も多く、逆側とは快適さに天と地ほどの差がある。

かなりの時間を費やして考え抜いた末に間違えることもちょいちょいある。

更には、ベテラン旅行者や現地民に強制的に追いやられることもちょいちょいある。



◆ 日本人ツアー客に挨拶してガン無視される。


つねづね心細いのでなるべく優しく接してほしい。

とはいえ、とってもフレンドリーに接してくれる方々もいる。

「あらー、一人で? 酔狂ねー。 日本のチョコあげる、懐かしいでしょ?」

かまってもらえたうえに菓子までもらえてめっちゃ嬉しい♪



◆ 知り合った旅行者(日本人)から「ちょっと立て替えといてもらえる?」と言われる。


まず返してはもらえない。というか1回も返してもらえたことはない。

正直、現地民にボッタクラレるよりも心が折れる。

「No」と言える強さを身に着けたい。もしくは次こそ先に言ってやるぜっ(スキル不足)。



◆ 旅の達人からみっちりと説教を喰らう。


達人はなぜあれほどエラそうなのか。世界一周中の若者もしかり。

言っておくが、初心者がみんながみんな達人のアドバイスを聞きたがっていると思ったら大間違いだぞっ!

ついでに、おばはんがみんながみんな若者と共に行動したがっていると思うのも大間違いだぞっ!




まだまだ気が遠くなるほどあるけれど、ひとまずこのくらいで。




シャウエン


訪れた国はまだまだ少ないくせに、しかも難易度の高そうな国は徹底的に避けるよう心がけているくせに何ですけど。


そんなぺーぺーの私にとって、今までで最も難易度が高かったのは レバノン。

そして、最も「あ゛ーーーーもう頼むから放っといてくれーーー!!!!!!」と思ったのが モロッコ だ。

現地の人々とのふれ合いを楽しみにしている私にとって、こんな気持ちにさせられたのは初めてだった。

(ついでに、完膚なきまでにぼったくられまくったのもモロッコだ)



モロッコではとにかく四六時中誰かに構われ続けた。しかもそのほとんどが芳しくない理由で。

一人旅に来ているのに一向に1人になれないストレスは相当のものだった。


あの手この手で金をふんだくろうとする輩がひっきりなしに湧いてくる。

ツアーや飲食物の押し売りはまだしも、『若い男』を売りつけようとするオッサンもすり寄ってくる。

「あなた金(かね)出す、代わりに若い男サービスする。二人共ハッピーね!」

・・・。

何が「ハッピーね!」か。 

見てわかるとおり、こちらとしてはもうほぼ『おっさん』である。しかもどうみても『貧乏旅行者』だ。

ということは、当然ながら  金 >>> 若い男のサービス  となるわけだ。

要するに、若い男のサービスなんかよりも金の方がはるかに大事なわけだ。

というか、そもそも『若い男のサービス』ってなんなのか。具体的に。

というか、どんなサービスであったとしてもタダでない限りは喜ばんし、まず男前かどうかを確認させろ!



もとい。

商店や食堂なんかでは当然のこと、バスや入場料だってガンガンぼったくられる。

ぼったくりを指摘すると憎々しげに舌打ちしながらちょっとだけ値を下げる。

下手すると「なにおぅ!? こっ、これがホンマの値段じゃ!ボケッ!死ねっ!」と逆ギレする。


食堂でご飯を食べていると、勝手に前の席に座って延々とセールストークをかます。

ご飯くらいゆっくり食べさせろよ! 消化に悪いわっ!


絶対目を合わさないよう重々気を付けているのに、ちょいちょい行商人が突進してくる。

バックパック背負って旅行中の私に、オタマだのザルだの変な蛇のおもちゃだのが入用だと思うかっ?

こんな婆さんがそんなゴルゴふうサングラスを嬉々として買うと思うかっ?

しかも、そんな「絶対買わんだろうよっ!」な押し売りも10分間ほど断り続けないと解放してもらえない。

こうして私の自由時間はどんどん削り取られていく。


中でも厄介なのは子供の物売りで、

「おま、それ、さっき道に捨ててあったボールペンやんけっ!」みたいな狼藉をちょいちょいかます。

関西人としては見過ごすことのできないボケに全力のツッコミを余儀なくされ、振りかぶるたびに体力を消耗する。

「売るものがなけりゃテキトーに調達しまっせ」というスタイル。

まったく、何を売りつけられるか分かったものではない。


更には『情に訴える』作戦も横行中である。

ビスケットを突き付けられ、泣きそうな目で見つめられる。た~っぷり。

周囲への「この婆さんが買ってくれなかったら今夜は折檻でしょう」というアピールも忘れない。

これにはたまらず買ってしまった。


バス車内で目を付けられたナッツ売りの少年には、口元にぎゅうぎゅうナッツを押し付けられる始末。

もうここまできたら本気なのか冗談なのかよくわからない。

けれど、もちろん食べたら「はいー、食べたー!100万えーん!」などと法外な金額を請求されるに決まっているので、死んでも口を開かなかった。

・・・モロッコくんだりまで来て何やってんだか。

頑なに拒否することたっぷり3分間以上。少年はしぶしぶナッツを元の袋に戻して去っていった。


・・・ってことは、あの私の唇に3分間密着したナッツは気の毒な誰かが買うことになるのかな。

というか今気付いたんだが、あのナッツ自体、既にどこかのおっさんの口元に押し付けられた物であった可能性も否定できない。萎え。



まぁとにかく。

それらの波状攻撃に気持ちが荒みまくり、何度も「ええ加減にせぇよっ!」と暴れだしそうになった。

もちろん逆ギレされるのが怖いので、まったく暴れも喚きもできずに終始半笑いで通したが。だっさ。




私はかねてからインドに行きたかったのだが、モロッコよりもはるかにキビシイとのことで

「絶対に無理だろう」と長年の夢をあきらめた。


しかし『たいがい面倒くさい』と聞いていたホーチミンは、モロッコに比べると屁のようなもので

「人々はなんと正直で優しいのだろう」と大変気持ちよく過ごすことができた。


どちらもひとえにモロッコのお陰だ。



けど、モロッコの『カスバ』は私の心を鷲掴みにしたのも事実だ。

あの素晴らしい景色をみるためにもう一度モロッコで揉まれてみようかと思わないでもないかも、いややっぱりもう無理かな。



※モロッコにも優しい人はいっぱいいます。念のため。