障害者の特権意識? | 統合失調症mikanの「差別される側の論理」

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mikan個人のブログにしましたが、精神障害の話が中々書けなくてすみません。どうしても政治のほうが興味があり、ついつい政治的な話題になってしまいます。FBFには、「障害者が政治を語る」ところが、私のブログの売りだと言われました。

日本人の一部に「在日外国人に特権があると」言う人がいる。在特会の人など。


健常者は、何かと「障害者の特権意識」と言う。男性は「女性には特権があっていいな」、と言う。


本当にそうだろうか?

例えば、健常者なら食事時、何を食べたいかで店を選ぶ。障害者(車いすユーザー)はどこが入れるかで店を選ぶ。


特権があるのはどちらだろう。


下記の記事より引用ーーー

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/674/?fbclid=IwAR2EXbhlPtVGgGOsvvgXcR0s9xqQIC_Fs710E-iWRpWTrMelVhaLpkzyUkU_aem_AUL_BQPsIPUadKXGaNxgxvWVePXVPtZjzG6uk-gq4EVtfhLqC8lKIalcIDHu0Cez1gM


大学の授業で学生たちに聞くと、特権という言葉は「学割が使えるのは学生の特権」「ディズニーランドが近いのは地元住民の特権」「女性専用車両って女性の特権」という風に使うことが多いです。でも、それらは“特権”ではない、というのが私の立場です。

(中略)


(注)恐れ入りますが、アメブロアプリでご覧の方は、スクショして拡大してみてください。

ひとつずつチェックしてみると、中野アナウンサーは、すべての項目でマジョリティー側にあてはまりました。“特権”を多く有しているということになります。

(中略)

前に進もうとするときにいろんなドアが開いてくれる。それはもう当たり前で、開いていることに気づかない。普通の風景になっちゃうわけですね。

一方で、その人が先まで行ってふと振り返ってマイノリティーの人が後方にいたら、善意を込めて『何やってるの?こっちこっち~』なんて言うんですけど、そこではドアが開いていない。そのことが見えないわけです。そうなると、逆に『ここまで来られないのはあなたが悪いんだ、努力不足だ』と、本人を責めることすらあります。

(中略)

最初、マジョリティーは「①“特権”に無自覚な段階」にありますが、“特権”に気づくと「②罪悪感を抱く段階」や「③周囲のプレッシャーに負けてマイノリティーを避ける段階」に移り、その後「④マイノリティーのことを知ろうと、一歩を踏み出す段階」へ進みます。

(中略)

さらに進んで「⑤自身を見つめ直し、現状を知ることに没頭する」や「⑥抑圧のない社会を実現するため、自主的に行動する段階」に進むためには、仲間が必要だというのです。

以上引用ーーーーーーーー

先日の車いすで映画鑑賞を断られた女性も、健常者なら好きな席で観られるという特権を持っているのに、車いすユーザーだから、と断られてしまった。


バッシングが起こったのも、恒例だ。以前にろうの卓球選手たちが大会のあと飲み会をしようと、居酒屋に予約を断られた時も、バッシングされた。


曰く「店にも客を選ぶ権利がある」「予め断っているのだから、店の対応は良心的」「障害者の特権意識だ」など様々にバッシングされたのだ。


これは4月1日から民間にも義務付けされる、合理的配慮義務違反です。卓球選手は筆談をお願いしただである。


このような要求は決して過剰なものではない。先日も書いたように、エレベータのない建物の2階のレストランで食事したい、という過剰な要求とは異なる。


しかし、バッシングする人たちをいったいどうしたらいいのだろうか?私にも答えはない。


ちょっと違うかもしれないが、元ジャニーズでジャニー喜多川からの被害にあった人たちに対して、SNSで誹謗中傷する人が少なからずいる。


そういう人たちは教育を行えば改善されるという、学識経験者の答えがあった。


障害者を、在日外国人を、被差別部落の人を、アイヌ民族を、琉球民族を、ヘイトする人にも教育でいいのだろうか?