「闘う障害者」劣等感という意味での恋愛観1 | 統合失調症mikanの「差別される側の論理」

統合失調症mikanの「差別される側の論理」

mikan個人のブログにしましたが、精神障害の話が中々書けなくてすみません。どうしても政治のほうが興味があり、ついつい政治的な話題になってしまいます。FBFには、「障害者が政治を語る」ところが、私のブログの売りだと言われました。

 

劣等感からの片思い

 

 僕が初めて女性を好きになったのは、小学校3年生の時でした。

 その女の子は僕と同じクラスメートで、頭が良かったのをとても覚えています。

きっかけは多分、学級委員長で僕に何かと優しくしてくれていた事で、当時、第1章で書いたように家族の誰1人からも優しくされていた事がなく(実際は、かなり優しくされたとは思いますが、その反動の差別されて育ってきたという思いが強く…)その子が優しくしてくれた事が強く印象に残っています。

 

 何せ小学3年生というある意味では遅い、初めて異性として意識をした女の子でしたので、その子の事を考える毎日が続き気が付くと思いっきり好きになっていました(笑)。 

 その女の子は女の子で、きっと学級委員長という立場からクラスメートの1人に僕という障害のある同級生に「優しくしてあげないと」という強い責任感と、その女の子自身が持っている優しさから出た行動だったと思います。

 男って何歳の時でも馬鹿ですよね(笑)?僕は、その優しさが好意(愛情に似た感覚)を持たれていると滑稽な誤解をしてしまいました。

 とはいえ、僕は僕自分の障害がある事を、家族から嫌という程言われていたので「僕が好きになっては迷惑になる」との思いを抱えて随分葛藤していく事になるのです。

 

 それでもその好きな女の子が目の前に現れると妙に意識してしまい、女の子の姿を目で追うようになり、その女の子が僕に何か話し掛けて来たら、心臓がバクバクして、心臓の音が相手の女の子に聞こえてしまうのでは?と本気で思う程のウブな少年でした(笑)。

「僕が好きになっては迷惑になる」という心理は、僕自身の障害への強い劣等感でしかなく、最近僕の周りの介護者たちが伝えてくれるのですが、僕は自分で思っている以上に他人に解りやすい行動をするようで、それは子供の時も同じだったのです。

 

初めて僕が片思いをした女の子には、勿論僕の想いは最後まで伝えてはなかったのですが、僕の態度や行動を見ていた僕の友達が気付いて、それを人伝えで聞いた女の子は「気持ち悪い」と言っていたそうです。

ご丁寧にもまたその言葉を人伝えで聞いた僕は「やっぱり、そうか」と悔し涙を浮かべいや、待てよ!実際その女の子に「好きです」なんて大それた告白をした記憶がないまま「気持ち悪い」なんて言われても、ただただ悔しさだけが残るだけで…。

「誰だ?僕の想いを伝えた奴は?」と悔し涙を浮かべても状況が変わる訳もなく「人の口に戸は立てられぬ」ということわざもあるぐらいで、今思えば僕の想いを伝えた犯人は、僕自身であるという明快で笑うに笑えない構図だと判明したのです。

僕の最初の片思いは告白もしないままフラれる結果で、不発弾のように終わってしまったのであります(笑)。

それでも片思いをした女の子の姿を見てしまうと心が和み、男っていう生き物は僅か小学3年生でも諦めの悪い生き物で、秘かなる思いを3~4年ぐらい抱いていました。

あの頃の純朴な僕はどこに行ったのでしょう(笑)。

 

「僕が好きになっては迷惑になる」とか「どうせ、僕のような障害者を相手にする人はいない。まして恋愛なんて」という僕の障害に対する劣等感は、正直言うと今も持ち続けています。

中学生になったある日の4時間目の体育の時間が終わり、運動場から教室へ戻ろうと、移動する時間が少ないためクラスメートのほとんどが走って室内靴に履きかえるために下駄箱へ行くのですが、当時の僕は巨漢なデブで、しかも障害があるためクラスメートに合わせる事が出来ずにいました。

 

遅れて下駄箱の中の室内靴を取ろうとしたら、明らかにいつもと違う感触があり、恐る恐る下駄箱に目を向けると、下駄箱の中の僕の室内靴の上にそっとラブレターが置いてあるではありませんか?

生まれて初めて貰った、このラブレター。その嬉しさのあまり、どうしてよいのか分からない十二分に幸せを噛みしめた時間も終わり、我に返った僕は単に女子がラブレターを他の男子の所と入れ間違えたのではないかと思いました。

ラブレターを貰うようなイケメン中学生でもない僕は、戸惑いながらもラブレターの宛名を見て更に驚きました。宛名には「原田のなおちゃんへ」と書かれているじゃありませんか?

さっきまでの不安要素の事なんて微塵も思い返す事なく、ラブレターの封を開く前から僕の頭はお花畑でいっぱいでした。

僕の顔の表情も当時生きて来た中で数回しか作った事のない不気味な笑顔となり、封を開け、そこに書かれていた内容がまた憎たらしいぐらい可愛くて「尚ちゃん、陰ながら好きでした。今日の放課後に校舎の裏にある倉庫の前で待っています」と書かれていて、文字も当時流行っていた女の子らしい○文字で書かれていました。

ただし、ラブレターの封書にもラブレターの中身にも名前が書かれておらず、誰が書いたか解りませんでした。

 

冷静で賢明であれば、その時に気付くべきだったのです(笑)。

当時の僕は自分の障害と健常と言われている同級生との違いになんとなく気付き始めていて、それがマイナス思考となり、現在の僕から見ても恋愛対象としてドン引きするぐらい汚い格好をしていました(涎や鼻水なんか平気で服の袖口で拭いていましたし…)。

それにもまして超根暗だったので、このラブレターというハッピーハプニングは僕の思考回路を完全に停止させ壊滅し、お花畑にリボンを付けたチョウチョがルンルン気分で飛んでいる状態でした。

 

その日の授業が終わり放課後となり、溢れる笑顔を隠しながら校舎裏にある待ち合わせ場所の倉庫前で「あの娘が来るかな?それともあの娘かな?」と1人妄想の中で待っていると誰も来ない!

「きっと遅れているんかな」と思いながらも段々と陽が落ちて来て、待つこと4時間。途中誰か来たと言っても僕が倉庫前に着いた何分か後に、遠くから聞こえて来たクスクスという笑い声。

あの時点で気が付かなかった呑気な僕は、今から始まるであろう恋の行く末を考え全く疑う余地すらありませんでした。結局女の子らしい子は誰も来ず、いや本当は誰も来るはずもなかったのです。真っ暗になった家に帰る帰り道の足がやけに重たかった事だけは覚えています。

 

翌日、学校に登校してみると僕が1人倉庫前で待っている様子を描いたイラストチックな吹き出しのセリフに「寂しくて、たまらないよ~」と黒板一面にチョークで書かれてしまっていました。

それは、いつも僕をイジめていたイジっめ子集団からの手の込んだイタズラだったのです。

このイジっめ子集団は、何かにつけて僕にちょっかいを出してきては、あざ笑って僕をからかいの的にしていた奴らでした。

まるで、のび太1人に対してジャイアンが5・6人いるような構図になっており笑)、そのイジっめ子集団は僕にとってとても嫌な存在でした。

ましてこのラブレター事件には、僕がほのかに思いを寄せていた女の子を含めた数人の女の子たちもいた事に、もはや誰1人信じる力も消え失せました。

中学生と言う多感な思春期に別の方角から言わせてもらうと、現在の僕と反比例であった純朴な時代に、女の子を含めた集団イジめを受けた僕はよく登校拒否児、もしくはヤンキー一直線にならなかったのか今となってはこれまた不思議としか言えません。

 

プチヤンキーになっていくのは高校デビューからなので(笑)。

 

思い出してみると、小・中学校では両親や学校の先生など周りの大人たちがこぞって「お前は馬鹿なんだから、いつも明るく笑顔でいろ!」と言われていたのでいつもヘラヘラと笑っていたのです。勿論、心から笑える事など何1つなく、いつだって作り笑顔でいたのです。

その作り笑顔がイジめっ子集団にとってはムカついてたらしく、そんな事を考えてみると、僕もイジめっ子集団も周りの大人たちの被害者だったんだなぁと思います。

どちらにしても不幸な事件に見舞われてしまいました(笑)。

 

昔から女の子にモテたいという感情の裏で、底知れぬ自分の障害への劣等感がありました。

そして遂に、その劣等感を自分以外の人間に言われてしまう出来事が起こったのです。

 

あれは確か中学3年生の初め、以前から好意を持ち続けた同級生の女の子を家の近くの公園に呼び出して、生まれて初めて告白をした事がありました。結果は失恋。見事フラれたのです。

フラれた言葉に「なおちが普通の身体だったら」という言葉があり、女の子にフラれた事は既にどうでも良くて、その「普通の身体だったら」と言う言葉にショックを受けてしまいました。

当時は自転車にも乗れて、学業は苦手でしたが他の友達との差はあまりなく、僕自身が「普通の身体」と思い込んでいたので「なおちが普通の身体だったら」という返事に「お前は障害者なんだ」という現実を浴びせられました。

やがて「どうせ、僕のような障害者を相手にする人はいない。まして恋愛なんて」という気持ちがより強くなっていきました。

 

相手の事を考えていると自分の中でアピールをしているふりをして、実は自分の事しか考えていない愚かでアホな少年でした。

 

この劣等感は実に厄介なもので、相手の事を考えているという自分を美化、または正当化する心と「どうせ、僕のような障害者を相手にする人はいない。まして恋愛なんて」と憑りつかれたような疑心暗鬼が混在していて訳が分からない状態になっていました。

それが人生初めての片思いを経験した小学校3年生からありましたので、勿論誰にも相談なんて出来ず、言ったところで絶対に笑われると思っていました。

 

青年期に入って青い芝の会で「障害は個性」という考え方になっても、現在52歳のおっさんになって個性豊かな仲間たちに囲まれても、普段は僕の障害を肯定する姿勢や言動を取っていても、ひとたび女性を好きになってしまうと、奴ら(障害に対する劣等感)が必ず顔を覗かせ、僕の心をむしばんでくるのです。まるでモンスターが暴れるみたいに(笑)。

自分の中では制御出来ないモンスターみたいな奴らは、僕の成長と共に更に進化をしていきます。

脳性マヒの加齢による二次障害により、自力歩行から車イス生活になり更に劣等感がパワーアップをしたのではないかと思います。

 

例え好きな人が出来て恋人になっても「相手の両親は、こんな僕を認めてくれるはずがない」とか「我が子が健常児だったら、一生劣等感に悩まされていくのではないか?」と恐怖感をあおる妄想の世界での劣等感しかなく、1人勝手に落ち込んだりもします。かと言って、恋愛を辞めるという結論にはならず、現在でも女性を好きになってしまう52歳のおっさんなのです。

 

昔の僕と現在の僕との決定的な大きな違いが1つだけあります。

それは現在、利用している訪問介護事業所のスタッフたち仲間の1つ1つの言葉なのです。

「障害があっても原田さんは原田さん。その人生を楽しんでほしい」と何度も何度も何度も、耳にタコが出来るぐらい(笑)言われてしまい、僕が劣等感と戦う中で悲痛な叫びの中相談すると、とことん僕の劣等感と立ち向かい、バトルを重ねてくれる仲間たちが僕に寄り添うようにいつも横にいてくれています。

この事は僕が生きる上で大きな違いです。

仲間たちの根気強い言葉を聞いていく中で、モンスターのような劣等感の奴らが僕の中から影をひそめ「車イス障害者でも女性を好きになっても、愛してもいいじゃないか!」

「僕は車イス障害者でいいじゃないか!」と、ある意味で開き直っていく生き方をしてみたいという思いになり始めています。