劣等感という意味での恋愛観2 | 統合失調症mikanの「差別される側の論理」

統合失調症mikanの「差別される側の論理」

mikan個人のブログにしましたが、精神障害の話が中々書けなくてすみません。どうしても政治のほうが興味があり、ついつい政治的な話題になってしまいます。FBFには、「障害者が政治を語る」ところが、私のブログの売りだと言われました。

 

   初体験は16歳

 

思春期になってくるとたいていの男子は男性になっていく段階で、女性を見る目が子供の時の純粋とはまた違う形で不純な?と言いますか、イヤらしい目で見てしまうのは何故なのでしょうか?

友達に勧められたエロ本のせいなのか?テレビドラマで映し出されるキスシーンやベッドシーン(濡れ場)の影響なのか?いずれにしても、確実に変態として、いやもとい1人の男として成長してゆく過程なのです。

 

僕の場合少しその成長が早く、父親の趣味の影響や下松の小さな飲み屋街に実家があったため、実家の半径3キロ圏内にポルノ映画館(成人映画)もあって少しばかり他の同級生よりも早く、大人の階段を駆け上り、やがて自他ともに認める変態となっていくのです。

そんなごたくを並べながら、話を本題に戻します(笑)。

 

僕が本格的に大人の階段を登り始めたきっかけは、僕が小学校5年生の時、当時としたら珍しいVHSのビデオデッキが我が家にやってきた頃でした。父親が買ってきたもので、当時父親から「このビデオデッキに触るなよ!」とキツく言われていたのです。

「触るな!」と言われると、そのビデオデッキに触ってみたくなるのが僕の本性でして、やがてビデオテープを探しそのビデオを観る事に成功しました。

やはり血は争えないもので(笑)、父親の素晴らしい趣味を結果的に見てしまったのです。

その素晴らしい趣味はピンク映像で、裸の男女が絡み合う無修正の、しかも自画撮り映像だったのです。

それはその辺のエロ雑誌よりも濃厚なもので、男女の特に女性の局部を初めて見た時の衝撃と父親への罪悪感から「気持ち悪りぃ」と思いました。

 

その思いは直ぐに薄れ去り、秘かに興奮を楽しみ、弟や幼馴染の同級生とそのピンク映像を観ては「おぉ~、すげえぇ~」と無邪気に喜んでいました(男と言うのは、本当に単純な生き物なのです(笑))。

やがて僕らの秘かな楽しみは父親にばれてしまい、こっぴどく怒られ終わりを迎えました。

 

思い返してみると僕のオナニーいわゆる自慰行為は、かなり早く小学4年生の時からでした(笑)。

一応言い訳をすると、実家の近くにあるポルノ映画館(成人映画)の現在では滅多にお目にかからない女性の乳首モロ出しの裸体のカラー印刷されたポスターが、実家から歩いて5メートル先にあったからだと思いたいです(笑)。

 

そのポルノ映画館に初めて入館し、映画を見る事に成功したのが高校中退をした17歳の時でした。ご存知かと思いますがポルノ映画館の入館が許されているのは20歳以上です。

17歳で入館をしようとした時、そこはご近所さんの関係で映画館の関係者とは子供の時からの顔なじみで、入館禁止のSTOPが当然かかってしまう訳で(笑)。

それでも、どうしても観たいという欲望には勝てず(笑)、何度か試みた結果、映画館の関係者も根負けして入館をOKしてくれたのです(もう35年以上前の話なので、時効と思い白状しました(笑))。

初めて観るポルノ映画は凄まじくエロく、その興奮は一生忘れることなく、まるで昨日のように覚えています。ちなみに当然、僕の息子はMAX全開でした(笑)。

読者の方すいません(笑)。あの頃の僕はまだバリバリに若く、そっちの方にはすごく興味があったのです。

 

 1度ポルノ映画館を解禁された僕は、盛りの付いた猫のように、貪るように通い詰め、ポルノ映画が前提の社会を風刺した作品がある事に気付き、ポルノ映画って奥が深いんだなぁと感心させられました(笑)。

 パチンコ店に出入りし出した頃も同じく17歳でした。何せ高校中退をして暇を弄んでいた時期だったので、その日の小遣いを増やすため、千円を3千円にしてはポルノ映画館に通い続けていたお茶目な(全く健全とはいえない)僕でした。

 

僕が童貞を卒業したのも同じ17歳でした。

それは突発的な事にみえて綿密に考えた僕の作戦でした。それは決して褒められた作戦ではなく、実家の割烹料理屋の売上金の一部を少し拝借し、当時からあった「ホテトル嬢」(現在でいうデリヘル)を呼んで、童貞を卒業するという安易な考えだったのです(笑)。

そして決行当日、実家の割烹料理屋の営業時間が始まる前にお金を拝借し、徳山にあるラブホテルに生まれて初めて入りました。

 

そのラブホテルの中の構造に驚きと妙な感心をしながら、女性を呼ぶためホテトル嬢のお店に緊張しながら電話をして、この後何が起こるかワクワクドキドキしながら、一体何を話せばよいのか?どうすれば良いものか?1人考えながらも大きな妄想の中で期待して、女性を待っている僕がいました(笑)。

 その時間が非常に長く感じながらも、ふいにラブホテルの部屋をノックする音が聞こえ「こんばんは~〇○です」という声が聞こえ、緊張感で身体が固まり、声が上ずりながら応対したのを覚えています(笑)。

女性と2人きりで個室で話した事がなかった僕は、緊張MAX状態の中、相手のお姉さんにリードをされながら事を済まして、無事童貞を卒業したのでした。

男って本当に馬鹿ですよね?部屋から帰るお姉さんを見つめながら、何の根拠もないまま必ず帰って来るという思いを信じ込み、その日はラブホテルにお泊りをしてしまいました。

お姉さんは2度と帰って来る事がなかったのは言うまでもありませんが。

 

 その後徳山である芸能関係の仕事に就いた時に、関東方面の障害者たちが福岡に団体旅行をする予定で、その中の男性障害者がソープランドに行きたいという要望があったらしいのです。

僕がアルバイトとして勤めていた会社の社長から「ソープランドに視察に行きレポートを書いてほしい」と僕に依頼が舞い込んで、悩む事なく「はい、是非とも行きたいです」と喜んで返事をしました(笑)。

ソープランドに行って楽しんでお金が貰えるという、この依頼はとてもラッキーな仕事でした。

 僕としてもソープランドは初めての経験で、昔僕が童貞を卒業する前に父親から「いつかトルコ風呂に連れて行ってやる」と言われ続けていましたが、結局その約束は未だ果たされていません。

 

 余談になりますが、昔ソープランドの事をトルコ風呂と言っていた時代があり、トルコ共和国から激しく糾弾された日本は、トルコ風呂からソープランドに名前を変えたという話を風の噂で聞いた事があります。

僕は一時期、日本における性の歴史について何冊かの本を読み漁っていました。それはそれで興味深い話がありました。

話を戻して、社長の運転で高速道路を使い徳山から福岡まで行き、ビジネスホテルに宿を取り、僕は単身でミッション(依頼のお・し・ご・と)を果たすべく、中洲のソープランド街へと出向き一軒のソープランドのお店に入って仕事上、観察しながら楽しみましたがその帰り道、何か女性を男の道具に使ったという思いが残り、虚しさを感じながら宿泊先のビジネスホテルへと福岡の街を帰って行った記憶があります。

仕事とはいえ、ソープランドで遊んだ僕は何を気取っていたのでしょうか?今では、その姿はより滑稽の極みとしか言えませんけど。