文鮮明の噓というより、統一教会の嘘といっていいでしょうか。

統一教会は「血分け」を否定するが、真実は文鮮明は本体論を提唱することで、女性信者たちとの淫行は聖なるものとして、教義・意義付けようとした。

「血代転換」(「血統復帰」、俗に言う「血分け」) という言葉は「原理原本」に出ています

 

[18753]18734][18735][18746]のご質問くださった方々へ。 by.Fact&Truth 2006年06月06日(火) 20時30分

 ■ [18734][18735][18746]のご質問くださった方々へ。順不同で部分的にお答えします。

1.80歳になる老婦人は、17年間、統一教(韓国ではこう呼びます)に入っていました。 

2.「六マリア」という言葉が、現在、幹部として君臨 (その方々もその多くが人生の終わりの時期を迎えていますが) しておられる女性たちの間では、当時、当たり前のこととして知られていたという証言は、今のところ保存しておりません。 また、その方は文鮮明から「血代転換」(注1)はされていません。

3.私は、文鮮明がこよなく好んだ重要な女性の「血代転換」 (それは姦淫そのものですが)の証言を確保、保存してあります。 

4.「六マリア」という言葉は、朴正華が捏造した言葉ではありません。 「六マリア」という言葉は、朴正華が明らかにするずっと前に、 統一教と戦った韓国の申四勲(シンサフン)牧師・哲学博士(故人・ソウル大学哲学科教授)が、 「統一教の正体と対策」の中で明らかにしています。 その中には、「六マリア」と呼ばれる女性の名前がづらづらと登場します。 ソウル刑事地方院 第4部が、その判決理由の中で、 「・・・その内容は決して虚偽事実ではなく、まして被害者文鮮明を誹謗する目的も全くなかったにもかかわらず、 原審は被告人がその判示の犯罪を犯したと事実誤認することによって、 判決に影響を及ぼす違法を犯したということである。」(1994.07.05判決宣告) と記している通りです。 (http://www.kyushutsu.net/jp/uc/s.html参照) 

5.「六マリア」という言葉の持つ意味は、朴正華が「六マリアの悲劇」において明らかにしている通りです。 「六マリア」とされた女性とは、文鮮明から「血統復帰」(血分け)を受けた女性のことです。

 

6.「野録統一教会史」の本は、私も劉孝敏から直接、サインの入ったものをいただいています。 私は10年以上のお付き合いがありました。彼との出会いと彼との最後の別れの挨拶を書けば長くなります。 私は、心を尽くして彼らとお付き合いをさせていただきました。 金徳振牧師(彼は悔い改めて警察牧師になりました。聖歌の作詞、作曲を数多く手がけました。 ある時、彼は私をソウルの某留置場に連れて行き、彼の讃美伝道の働きを見せてくれました。 その時に撮影したビデオテープや統一教についての証言ビデオテープが保存されています)。 朴正華、朴正華の夫人(厳徳順)、そしてここでは名前を記せない各位がおります。 彼らが手渡してくれた貴重な第一次資料の数々が、彼らの心と共に今、私のもとにあります。 一つ一つが懐かしい思い出です。 35回(正確にはパスポートを調べなければわかりませんが)に及ぶ韓国への取材の旅を、 神はいつも大いなる祝福を持って、私の思いをこえてお応えくださいました。 6.劉シンヒさんも「六マリア」の一人です。 もう随分前に日本の某テレビ局が、彼女の証言を放映したことがあります。 私は彼女の自筆の証言文を持っています。 

注1「血代転換」(「血統復帰」のこと。俗に言う「血分け」)という言葉は「原理原本」に出ています。 朴正華が「血代交換」と「六マリアの悲劇」で記したことは正しいのです。 決して捏造ではありません。 次の仕事が迫ってきていますので、ここまでにします。どうか掲示板においてよい議論をされてください。

 

[18917]1995年12月23日 朴正華「六マリアの悲劇」が真実と証言 by.Fact&Truth 2006年06月09日(金) 00時17分 

人は誰でも、自分が「裏切り者」に仕立て上げられることに耐え難い苦痛を覚えます。 それは、人が神と隣人の前に真実に生きる者として創造されたからです。 「私は裏切り者」が朴正華の名前で「世界日報社」から発行された時、 今こそ朴正華を「救出」しなければならないと、心底、思いました。 この思いは朴正華に正しく伝わり、彼は仁川国際空港から小松空港に約束通り来てくれました。 そして、1995年12月23日(注1)朴正華は、わたしたちの前で、 「六マリアの悲劇」が真実であり、 「私は裏切り者」は、世界日報社の社長(その当時)である石井光治氏が書いたものである と証言しました。 http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/jkougi.htmで述べられている 「しかし、朴氏は、『私は裏切り者』なる著書の出版後に来日し、一九九五年一二月二三日、 『私は裏切り者』なる著書で述べられている事実は真実ではなく、 『六マリアの悲劇』で述べた事実が真実である旨証言しています。」 とは、このことなのです。 今ここに記したこの短い書き込みが、真面目に真理を追い求めている苦悩の中にある方々の支えとなりますよう心から祈ります。

 

[18983]「私は裏切り者」出版報告会 「著者講演文」は朴正華が書いたものではありません。 by.Fact&Truth 2006年06月09日(金) 20時12分 

「六マリアの悲劇」が捏造であることを朴正華も認めたことの証拠として、 「『私は裏切り者』出版報告会 著者講演文」(1995年11月18日 東京教会) 要旨がしばしば引用されていますが、 この「著者講演文」(B5で10枚)は統一教会が用意したものです。 これも朴正華を「裏切り者」に仕立てるためのものにすぎません。本当に悲しいことです。 「著者講演文は私が書いた文でありませんでした 朴正華」 と朴正華自身が自筆で証言しています。 この証拠もまた保存されています。

 

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「六マリアの悲劇」と「私は裏切り者」を見比べて記事にしたことがありますが、記事が見つかりませ~ん(^^;

「私は裏切り者」は、ただの打消し本なので、これ意味あるのか?って感ずるでしょう。

しかし、信者たちにとっては、こういう本が出たということで、内部誘導は十分とも言えるのです。

信者は嘘なのに真実として教え込まれ、アベル信仰で納得してしまう。

・・・不信はサタンですからねぇ~(呆)

ぜひ、自分で調べてくださ~い。

 

ただし、男性信者にとっては、教祖の淫乱も摂理・教義として受け入れてしまうようです( ´艸`)

男にとって、女と金がザクザクは・・・、

理想?なのかもねぇ~(ハハッ) byナツミカン

 

 

六マリアとの「6×3」は1993年週刊誌により公になっていたのだった

淫獣!文鮮明「神の日」制定の性秘儀隠蔽