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NO.8747
2013年11月9日土曜日 6:29 メイ


文教祖とウジ虫の群れ

日本で文鮮明は、こう言っている。


  あなたたちはここに来て、祝福される何の条件があるのですか!
  二年もたたない、三年もたたなくて、
  神の目から見たら泥水の中のうじ虫のような存在なのです。
1978年9月21日 埼玉 神川村


祝福を受ける価値のある者は一人もいないと人々に向かって言い、後々までも祝福をネタにして、ゆすり、たかり、嫌み、恩売りが延々と続く。

子等は、親が教会内で韓国人幹部達から祝福泥棒呼ばわりされ、教会の外では日本人食口達から同じ陰口を叩かれているのを、じっと見聞きしている。

与えて与えて与えたことさえ忘れよと教えていながら、幹部が与えた祝福でもなく、一般信者が与えた祝福でもないのに、決して忘れず、祝福を恩着せやら皮肉のネタとし、相手を支配する材料とする。
その様子を、子等も怪しみつつ観察している。

合同結婚式について文鮮明は、「神の祝福」「天の祝福」と言っていた。
合同結婚式には、キリスト教、仏教、イスラム教、儒教、それぞれの衣をまとった聖職者達も壇上に並び、祝辞を述べる。
神仏の祝福、天の祝福、世界の祝福という前提での式典ゆえに、部外の聖職者達も招かれ、式典に参加している。


しかし式典が終わると途端に、真の御父母様の祝福、文先生の祝福と言って強調される。

福とは、神の豊かな恵みを意味する。祝福とは、豊かな天恵への感謝と祈りを意味する。
統一教会のように、後から結婚式代以外の金を延々と追加要求し、組織に少しでも反すると泥棒呼ばわりするケチな祝福に貶めて恥じない人達がいる。

神の限りなく豊かな恵みを矮小化し、文鮮明や統一教会だけが与えることのできる恵みとして本来の祝福を独占し、変質させて何とも思わない組織集団は、独占欲に凝り固まっている。彼等は仲間を仲間とも思わず、ましてや離脱者を人間とも思わず、地獄に堕ちるべきサタンの手下と見なす。

祝福を、脅しと恩着せの材料とし、要求と非難の始まりにしている。そうやって人をコントロールしようとするので、自然屈服というより祝福封建制になっている。
祝福と聞いただけで尻込みする二世を輩出する現状は、数値目標の達成に拍車をかけて、祝福の質を文鮮明がどう高めてきたか否かを示すバロメーターだ。

合同結婚式では成婚問答というのがあり、言葉の表現は、その都度違っているが、こういう主旨になっている。


 一、本然の善男善女として、天法を守護し、永遠なる夫婦の因縁を定める。

 二、神様が喜ばれる理想的な夫婦として、永遠なる家庭を築く。

 三、天の伝統を受け継ぐ善の父母として、世界の模範となる子女を養育する。

 四、地上天国と天上天国を建設すべく、愛の中心者となる。


つまり、理想夫婦、理想家庭、理想子女、理想人格を通して新天地を拓く覚悟を問い、それに対し、新郎新婦が神仏、天地の前で同意する内容になっている。

しかし、どう地道に苦心を重ねても、組織自体が法規を軽んじ、それを摂理の名で自己正当化しているようでは、信用を失い、足元から崩壊していく。

そういう集団にあっては、善男善女であることも、神様が喜ばれる夫婦であることも、世界の模範となる子女を養育することも優先されず、地上天国や愛どころか、殺伐とした達成義務と教条主義が最優先される。

文鮮明を師と仰ぐ人ほど、こうした現状を蕩減の一言で済ませて問題視せず、短絡的な分裂気質だけは、血統を越えて、しっかりと継承されて行く。
そこが、統一教会の恐ろしいところだ。まるで狂気と短絡の濃縮型増殖炉だという声もある。

文鮮明は、こうも言っている。


  全世界、国家を越え、民族、氏族を越えて全体を代表した立場においての
  家庭であったということを、あなたたちは知らなければならない。
  わかりますか。そのような責任をもって出発したのである。
一九七八年九月二十日のみ言


「全世界、国家を越え、民族、氏族を越えて」ならば当然、宗教も教団も越え、統一教会というより「全体を代表した立場においての家庭」を出発したことになる。

神の限りなく豊かな恵みではなく、統一教会の押しつけがましさに満ちあふれた文一族の文一族による文一族のための祝福封建制は、多くの二世達によって拒絶されているが、その率直で悲痛な警告の意味を汲み取った時には遅すぎる。

食口は、神に感謝すると言いながら、実は教祖に感謝して貢ぎ、貢がせるのが 当たり前になっている。統一教会が栄光在天と説くのは最初だけで、すぐ教祖 と組織の恩を前面に出し、神は口実に使われる。


  今、私は、世界中の人々に祝福を与える橋になりたいと思います。
  そして皆さんにもそのような橋になってほしいと思います。
    1977年2月23日 ニューヨーク ワールド・ミッション・センター


と文鮮明は宣言している。

先生は生徒を卒業させるために存在し、橋は人などを渡らせるためにある。

渡らせて、その先へ自由に行かせるためにある。
しかし、中には橋に愛着を持ち、橋の下に棲み着いて離れないことを善とする人達もいる。

彼等は、橋より向こうの目標に向かう人達に対して罵り、橋への恩知らず呼ばわりし、橋から去るのは橋への侮辱で地獄に堕ちる行為だと主張する。

橋から去るなら向こう岸まで一旦戻るべきだ、橋は無かったことにして一人ずつ川を直接渡り直すべきだ、と脅すことの好きな彼等は、お目付役気取りだ。これは、どういう人達だろう。

本末転倒し、橋の役割、目的、使命全てをすり替えた連中に違いない。
それは最初から橋に見せかけた詐欺だったことを、自ら証明している。
こうしたことは、下心ある計算高い闇社会の構成員が使う陰険な手口だ。

アメリカの大衆の前で彼は良いことも述べても、裏では別のことが着々と進行している。それは本当に深刻で、そこに宗教を語る落とし穴がある。


落とし穴は、落とし穴に見えないよう、偽装されている。

落とし穴であることを知った以上、どこにどのような落とし穴があるかを伝えておくのが、せめて、残された時間の中で、この身にできることだ。

もう想い出さず、関わらず、それで済めば良いのだが、それでは過去の教訓が生かされず、更なる被害者と加害者が続出し、ますます深刻化して行くだろう。

そう決意を語る友人の姿からは、過去の問題に関わりつつも、吹っ切れているすがすがしさが感じられました。

うじ虫について、ウィキペディアでは、こう書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%86


 


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死ぬ前に真実を語っていた文鮮明教祖(統一教会創始者)

「私は小さい時から神様の声を聞いてきました。神様が私を育ててきました。そういう人生を生きてきたのです。16歳のときのイエス様との出会いは 『メシアとしての召命ではなく、自覚』 であった」 …と。






昔サンポールって記憶してたけど・・・ちがってたかな?