http://ameblo.jp/mikan-ha417/?frm_id=v.mypage-ameblo--myblog--blog

犠牲にされた女たち – 大功労者、玉世賢の末路 (1)

>文鮮明を一生支えてきた玉相賢の老後が、こんなに悲惨になっているのを見ると、本当に悲しかった。しかし、この玉相賢だけではなく、こうして犠牲になった人は、まだ何百人もいる。<

玉世賢=玉相賢

 

靴下は表向きは母親手作り、事実は玉さん手作りだった・・・。

私は、母親が作ったものと思い込み思い込まされていたが、捨てた信者に作ってもらったことがバレるのはマズイということだったのか?

 

http://www5b.biglobe.ne.jp/~yi1800/akasi/045.html

「一片丹心、み旨だけのために」 玉世賢 一部転載。

 

> 子供たちはときどき訪ねてきて、「自分たちを放っておいてなぜここに来ているのか」、「なぜ、お母さんだけここに来ているのか」と言いながら、「家に帰ろう」と哀願しました。しかし、私は神様の命令どおりに生きなければならないので、しかたがありませんでした。

 ですから、「神様がお母さんを呼ばれるときに、おまえたちの面倒を見なさいと言って呼ばれたのではない。おまえたちの面倒を見ていたら、神様が永遠に私を連れて行かれて(おまえたちと)会えなくなってしまう。お母さんに会いたければ、いつでも来なさい」と言って、慰めて送り返しました。その後、ずっと先生とともに生活しました。<

 

統一教会は、初期からネグレクト?!

子供を養護施設に預けた六マリアもいた。

組織一番で家庭などは二の次三の次、最も日本でも70年代から親泣かせ原理運動でした。動ける若いのか金持ち狙いの組織です・・・。

http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/418224651.html

「あの靴下を持ってきたか?」 《髪の毛で編んだ靴下の証し・玉世賢ハルモニ》  一部転載。

 

今日も玉世賢(オク セヒョン)ハルモニの証しです。
昨日、「髪の毛で編んだ靴下」のことを書きましたが、
ハルモニご自身が、そのことを述懐しておられます。
昨日の続きになります。
(一部編集しています)



玉世賢ハルモニは、髪の毛で編んだ靴下を
2足作られ、さらにもう一度作られたのでした。

この精誠の限りを込められた靴下のことを、
以前、一般のサイトで、異様な物のように
取り上げられていた記憶があります。

確かに一般的な人から見れば、
そのように見られてしまうかも知れません。
しかし、ハルモニのお父様を慕う世界、
その心情を思えば、お父様はどれほど喜ばれたか知れません。

 


その後、「面会によく来るように」とまた手紙が来ました。
ちょうど夫は以南(朝鮮半島で休戦ライン以南を言う語)に行っており、
子供たちは学校に通っていたので、私は思いのままに外出できました。
それで私は、肉のしょう油煮と服などを準備して再び面会に行ったのです。


「先生、私が面会に来ました」と言いながら走っていくと、
先生も驚かれ、「荷物を載せに出かけるのだ」と言われました。
リヤカーの後をしばらくついていくと、後ろを振り返られて、
「次は、○○をたくさん持ってきなさい」と言われました。

そして、途中ではったい粉ともち米を買って帰り、
それでもちをつくりました。
市場に行ってりんごを五十個と卵を一包み買い、
さらに米のお菓子をつくったのです。
それらを家から持ってきたものと合わせると、
大きな袋いっぱいになりました。

それを「先生に渡してください」と言って看守に渡してきたのですが、
店の主人が言うには、本人のところには半分も届かずに
途中で他の人が食べてしまう、というのです。
それを聞いて心配になり、眠ることができませんでした。

その後、興南刑務所から本宮分所に移動してから、
「足が冷えるので、ポソン(朝鮮足袋)の上に
履くものを繕って送ってください」と先生から手紙が来ました。

それで私は、それを二組つくって面会に行ったのです。
しかし看守が受け取ってくれなかったので、
そのまま持って帰りました。
家に帰ってじっくりと考えていると、
「髪の毛でわらじを編んで恩を返しても、すべてを返しきれない」
という昔のことわざを思い出しました。
それで、自分の髪の毛を切って二足の靴下を編み、
その次の機会に持っていって差し上げたのです。

先生は出監されて平壌に来られるときに、
その靴下を履いてこられました。
ところが、先生が私の家にいらしているときに
その靴下を洗っておいたのですが、
避難してくるときに持っていくのを忘れてしまい、
そのまま置いてきてしまったのです。

その後、先生が「あの靴下を持ってきたか?」と尋ねられるので、
「忘れてしまいました」とお答えすると、
「何、なぜあれを忘れてきたのか!」
とおっしゃりながら叱責されるので、
とても申し訳なく思っていました。
それでもう一度、髪の毛を集めて靴下を編んでさしあげたのですが、
それを今も保管されているそうです。


 

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http://happism.cyzowoman.com/2013/09/post_3080.html 一部のみ転載。

■最終兵器、黒髪の靴下!?

 このように、信徒以外の者にとっては、衝撃度があるような、ないような、とりあえず「すっごーい」と純粋に叫べるものが少ない遺品展だったのだが、これだけは違った。
 
 それが、文鮮明氏が、日本に留学していたころ母親が息子を思って編んだという“黒髪の靴下”である。

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みだれ髪……(編集部撮影)

 この頃の文鮮明氏は、激しい抗日運動を行い、たびたび特高警察の刑事たちにスパイ疑惑をかけられ、幾度も牢獄に入っていたという。それをふびんに思った母親が自らの髪の毛で靴下を編み、氏に送ったというのだが……。肝心の出来栄えと作品を冷静に評価すると、一言で「怖い」。捨てても何度でも戻ってきそうなカルマ的エネルギーを放つ、まさに念の塊であった。

 日本では、“霊感商法”“合同結婚式”“政治の黒幕”……と、悪評ばかりがささやかれる統一教会であるが、数々のメディアバッシングを受けながらも着々と大物政治家を手懐け、世界規模の宗教団体へと成長させた文鮮明氏の豪胆さと執念のルーツを、この髪の毛で編んだ靴下に感じたのであった。
(写真=酒井透、文=編集部)