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丁得恩

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鄭得恩あるいは丁得恩(チョン・ドゥクン、정득은)は、韓国 の女性宗教家 李龍道 黄国柱 の影響を受けた、混淫派 の先駆者の一人。韓国におけるキリスト教系新宗教の先駆けとなった。

平壌 の心霊集団にいたが啓示を受けて南に渡り、1953年ソウル の三角山(北漢山 )に「聖心祈祷院」を開いた。[1] 自身を「大聖母 (대성모)」と呼び、神の血統を持つとした。聖なる血を分けるとして三人の弟子と性交を行い、さらにその弟子が女性と性交することで「血分け 」がされていった。

丁得恩から血分けを受けた人物に朴泰善 文鮮明 がいる。丁得恩の『生の原理 (생의 원리)』は『原理講論 』への影響が指摘されている。世界基督教統一神霊協会 の公式文書では「朴雲女」(パク・ウンニョ)の偽名で知られる


丁得恩=鄭得恩=朴雲女(パク・ウンニョ)


http://blogs.yahoo.co.jp/oharutoo/493212.html より転載。

光復節以降のメシア運動史3 ~天父教 朴泰善(パクテソン)①~


天父教の創始者である朴泰善(パクテソン)は1917年韓国の平安南道で生まれた。現在は北朝鮮に位置している。朴泰善(パクテソン)は幼い頃に母親を亡くし、飲んだくれの父親の元で育った。父親は再婚してまもなくこの世を去り、朴泰善(パクテソン)は継母によって育てられるが精神的な拠り所のなかった幼少時を辛い過去として告白している。朴泰善(パクテソン)は母親の愛を探すかのようにキリスト教へと引き寄せられ熱心なクリスチャンへと成長していった。
 朴泰善(パクテソン)は小学校を卒業後(9年制と思われる)日本へと旅立ち、精密機械工場を手がけることになる。植民地支配を受けている当時の韓国人が日本で工場を経営することは並大抵のことではなかったというが、代々木韓人教会に通いながら生活を全うした。この間に朴貞源氏と籍を入れている(1941年2月8日)
 しかし太平洋戦争の勃発に伴い、光復節を前に祖国韓国へと帰国することになる。朴泰善(パクテソン)は故郷に戻らずソウルで精密機械工場を新しく開くとともに、南大門教会で金致善牧師と出会うことになる。この金致善牧師との出会いが朴泰善(パクテソン)の未来を大きく変えることとなる。朴泰善(パクテソン)は南大門教会で熱心に奉仕しながら執事としての職分を受けることとなる。
 しかしこの時期に朴泰善(パクテソン)は既成キリスト教会の教義に捉われていないことを証明する事件が起きたが、それが丁得恩女史との「血分け事件」であった。南大門教会に通っていた頃の朴泰善(パクテソン)は教会の助師を通して、三角山で祈祷院を管理している丁得恩女史と出会うことになる。丁女史はいわゆる霊能者であり、祈祷を通して天と霊通しそのメッセージを書き残していた。丁女史は自身を「聖母」と呼んでおり、神の血統を所持していると主張していた。もちろんその主張は大衆に向けられたわけではなく、丁女史を深く崇拝する追従者たちのみに語られていた内容であったが、朴泰善(パクテソン)もそのうちの1人であった。「血分け」とは性関係を持つことを意味する。まず丁女史の3弟子とも言うべき男性が彼女を性関係を結ぶことを「血分け」を受け、その男性から更に数名の女性達が性関係を結ぶことで「血分け」を受けるのである。

朴泰善(パクテソン)はこの2段階目に血分けを受けた女性と性関係を持つことで「血分け」を受けることになった。朴泰善(パクテソン)がどれだけこの「血分け」を重要視したかは、彼がこの「血分け」に自分の妻、妻の母、そして兄嫁まで参加させたことからもわかる。更に朴泰善(パクテソン)はこの「血分け」儀式の為に自身の邸宅を提供していたというのだから、その入れ込みようは人並みならぬものがあったことが見て取れる。
 もちろんこの「血分け」儀式は南大門教会には内密に行われいた。しかし当然人数が増えれば情報は漏れざるを得ない。「血分け」に参加したある女性が良心の呵責に耐えられず牧師である夫に告白したのだった。自身の妻の不祥事を自ら告発することにもなったが、この牧師は勇気を持って「血分け」儀式を断罪した。しかしこの牧師は強制的に精神病院に送られることとなり、事が大きくなることを恐れた朴泰善(パクテソン)は丁女史との関係を切り、自宅にいる信徒達をサタンと切り捨て事件を闇に葬ることにした。

朴泰善(パクテソン)はその後、以前と変わらず南大門教会に通い、熱心に教会に奉仕した。しかしこの「血分け」事件はその後も朴泰善(パクテソン)の宗教心に大きな影響を与え続けることとなった。



血分けしてもらいメシヤになったつもりの朴氏、と文鮮明氏であったのです。

そして、明らかになっている六マリヤだけでも13人いる。最も文鮮明自身が60マリヤ(もっと多い)だなんて大雑把な事を自白しているのですから、初期メンバーが真実を告白すればみんな血分け繋がりだったのか?と解かる様にもなるでしょう。

自ら喜んで話したK山夫人。そして拒否した人に代わってF田夫人。

Bフンジンが暴露した中には、故○保○氏、○山○夫人の名前があがっています。

拒否した故○保○氏夫人・・・生きている方々は、是非すべて信者に告白してから逝ってください。あなた方も信者を騙し続けた張本人!グロ過ぎる!


朝鮮民族宗教のあのクウォンパと同等ぐらい、いやもっと酷い悪辣組織だ!


文一族相関図・六マリア編<六マリア13人?それ以上か↑6人だけではなかったのです。