次に劉孝元さんについて明らかにする。


 文鮮明がメモ書きした原理原本と、これをもとに劉孝元が構成・執筆した「原理解説」によって、統一教会のすべての食口たちが、この原理を伝道できるようになった。36家庭を選ぶときは、彼が苦労して、それぞれの組み合わせを決める役割を果たした。

 劉孝元は、旧京城(ソウル)帝国大学の医学部の出身で、自分が患者の身であっても、病気については詳しく知っていた。彼は当時、結核性の間接炎を患っていて、かなり衰弱した状態であり、手術をすればすぐに死ぬ身体であることも知っていた。

 ところが、そのことを知っている文鮮明が来て、神の命令だといって、手術するように命令した。文鮮明はそのとき、「それでも手術しないということは、神の命令に逆らうことだ」とまで言ったそうだ。

 劉孝元は泣きながら手術することを拒否した。「自分は注射で生きている。どうすればよいのか」と、私は相談を受けたことがある。が、やはり文鮮明には逆らえず、仕方なく手術を受け、案の定、死んでしまった。

 このときの文鮮明の非道なやり方は、内部でも「間接殺人だ」とさえ言われたくらいだ。

 劉孝元の葬儀のとき、文鮮明は、式が終わったあと幹部たちの前で、

「私と劉孝元は、どういう関係なのかと思ったか、もう逝き去ったな」

と言った。頭が良く人格者で人気抜群だった劉孝元は、文鮮明にとって頼りにはなるが、いちばん危険な存在だった。が、それにしても不遜で非常識な言動過ぎはしないだろうか。

 さらにまた、当時アメリカにいた大幹部が、

「自分がお告げを受ける人を通じて聞いた話によると、36家庭のメンバーだった李基錫、朴鍾九(注=この二人は当時、すでに死んでいた)、の二人は霊界でとてもいい席に座っていたが、劉孝元さんはいちばん末席に座っている」

と話した。さらに彼は、「統一世界」という雑誌にこの話を載せ、清平祈祷院でも発表したが、本当に残酷な仕打ちとしか言いようがない。

 劉孝元こそ統一教会最大の功労者なのに、用がすんだら寄ってたかっていじめぬき、死んだあとも鞭を打つのである。



六マリアの悲劇 P239~241より



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似たようなことは、日本統一教会にもあったような気がする?!


この本が書かれた当時、36家庭の内脱会家庭は8家庭あるそうで、どちらかが亡くなっている家庭が5家庭ということです。



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