※この記事の中には
「コンビニ人間」という小説の
ネタバレを含みます
見たくないワ、という方は
スルーを、お願いします。。。
「火花」を読んだことを
書いたのですが
同じく
芥川賞受賞で
話題になった
「コンビニ人間」という
本(小説)のタイトルが目にとまり
読みました
本を読んでいる、ということは
視覚から情報を
得ているはず、なのですが
この本を読んでいる間は
同時に
耳からも音を聞いているのではないか
というぐらい
「音」が鳴りました
コンビニの自動ドアが開くときの
電子音
ペットボトル飲料を
保冷棚から取った時の
「ガタン」という音
お客様の発する声
レジの音
揚げ物を揚げる
油の音
これらが
すぐ近くで
聞こえているような
感じがしました
そして
冒頭すぐから
圧倒されるような
主人公の
「アイデンティティー」のようなものの描写
主人公は
小さい頃
死んだ小鳥を見て
皆が泣いている中
お父さんも妹も
焼き鳥が好きだから
その小鳥を
「焼いて食べよう」と言う
小学校で
男子が取っ組み合いの喧嘩をして
「誰か先生呼んできて」
「誰か止めて」と叫ぶ中
そうか、止めるのか、と
ケンカをしている男子の頭を
スコップで殴って止める
出来事→判断・解決策
という部分だけに
着目してみれば
その解決策は確かに
選択肢の1つではあるけれど
周りのお友達や
大人達は
主人公が選んだ「答え」を
受け入れない
けれども
主人公は
何がおかしいのか?
なぜ、親に諭されるのか?
なぜ、先生に怒られるのか?
わからない
主人公は
家族や周囲にとっても
いいことだと判断し
行動しているだけだった
主人公の母が
主人公に
小鳥が死んでいるのは
悲しいことでしょ?と
諭したり
スコップで
お友達の頭を殴ったことで
母が学校で謝る姿をみて
どうやらこれは
いけないことらしい、と悟り
父と母が悲しんだり
色んな人に謝ったりするのは
本意ではないので
皆の真似をするか
誰かの指示に従うか
どちらかにして
自ら動くことは
一切やめた
という記述があります
主人公は以降
特に問題を起こさないまま
大学1年生の時に
コンビニで
アルバイトを始めるのですが
コンビニで
「いらっしゃいませ!」と
声を発した瞬間
私は、初めて世界の部品に
なることが出来た
今、自分が「生まれた」と思った
という記述があり
あぁ、なるほど、と
思いました
更に物語が進み
結婚をしていない独身で
仕事でキャリアを積んでいるでもなく
30歳を過ぎても
コンビニで
アルバイトをしている、ということが
周囲ではどうやら
受け入れられていないと感じると
たまたま居合わせた
以前、コンビニで働いていて
すぐに辞めさせられた男性と
同棲のようなものを始めることで
独身の姉(主人公)を心配する
妹を安心させ
お姉ちゃんにもついに
一緒に暮らす
いい人が出来たと
喜ぶ、という
描写もありました
「普通」の人間でいられるように
「人間」のように振る舞って
生きようとする
「普通って、なんだろうな」
人をスコップで殴るなど
「これはいけないこと」だと
世の中で認識している基準
それはどこからくるのだろう
私達はそれらを
生まれながらに
備えているだろうか
これは正しいことなのか
間違っていることなのか
周りを見ながら学び
いけないと思ったことは
しないようにしたりする中で
自然と学んでいくのだろうか
では
そうすることが出来なかったら?
価値観って、何?
と
色んな疑問が浮かびました
私自身にも
当てはまる部分が
あるなぁと思うし
実際
小説ではない
現実の世界で
私は
アラフィフで
非正規バイト
独身で
年金を頂けない母と
同居していることは
この小説の中で描かれる
主人公の状況よりも
「普通」ではないよな?
などと思いながら
世間一般の価値観、というのと
この主人公の価値観、というのと
私自身の価値観
どれがどうなんだ、と思いながら
最後まで読み進めました
主人公の彼女は
「コンビニ」で働いている時は
「コンビニ」の声が聞こえる
そのことこそが
自分は、この世界で
「生きている」と実感している
というような
描写があり
最後は
同棲している男性の
忠告も制止も振り切って
自分の意思で
「コンビニで働く」ことを
選ぶのです
もしかしたら私も
アルバイトで
今の職場で働いている
ということが
かろうじて
「人間として」
日々、生きることが
出来ている、ということに
なっているのかしらん
今私が
「普通」だと思っている
価値観は
本当に
「普通」なのか?
私は確かに
生きてはいるけれど
「社会」の中で
生きている「つもり」に
なってはいないだろうか
と
深く考えさせられた
小説、だったのでした
