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障害児の母になって、抱えた苦しみ。

障害児の母になって、気づいた優しさ。

障害児の母になって、伝えたい想い。

 

両眼性無眼球症(全盲)とたくさんの障害を持って生まれた娘を育てながら、日米の架け橋となるべく東奔西走しています。

暗闇の中を手探りで歩いてきた当時の経験から、周囲に「助けて」と言える社会づくりを目指した活動を行っています。

 

 

日々の暮らしを徒然と綴りながら、合間で娘のストーリー振り返り記事をアップしています。

 

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さらに現実的なことを考えると、米国で学び米国企業に就職した夫が、当時、日本の企業で働く機会が得られるかというと、それも疑問だった。

そして私も自分の会社を立ち上げたばかり.

ハンディを抱えた娘を連れて日本に帰国したとしても、収入源がなければ生活も出来ない。

還暦を過ぎた両親を頼ることは、精神的にも物理的にも不可能に近かった。

 

一方で、千璃が生まれた瞬間に「この子はアメリカで育つべくして、生まれたのだ」という直感のようなものがあった。

日本に帰るという選択肢は、限りなくゼロに近かった。

 

 

Realistically, there was no guarantee that my husband who was educated and employed in the United States would be able to find work at a company in Japan.

In addition, I had just started my own consulting firm.

 Even if I carried my disabled daughter back with me to Japan, we wouldn’t be able to live without an income, and relying on my parents for support would not be feasible psychologically or practically.

 

Besides, my intuition had told me from the moment Seri was born that this child should be raised in America.

Returning to Japan was not an option from our side either.