マイストーリー③ ~できる私に価値がある~ | 一人で頑張っているお母さんのイライラと不安を解消して、家族みんなが安心できる居場所をつくる専門家

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子育てをしていると、自分の幼少期の傷やトラウマがうずいてしまうものです。そんな子育て中のお母さんが感じているモヤモヤ、子どもと夫婦の問題の原因と、解決方法を発信しています。

こんにちは、MIKAKOです。

 

 

前回、

 

小学生のころ、自分の感情は誰もわかってくれない、

感じることを、やめよう。

と無意識に決めてしまった、という話の続きです。

 

前回の話↓

 

 

 

カウンセリングを受けていると、

「無意識のチカラって、すごいな・・!」

と本当に驚きます。

 

 

それは、自分が何に困っているのか、

解決するには、何が必要なのか。

探し始めると、

膨大な過去の思い出の中から、

「これ」という、ふさわしい記憶を、引っ張りだしてくる。

(このこと思いだすのって、何十年ぶりかしら…)

みたいなことを。

 

それが、カウンセリングの「まな板」に、のるのです。

 

~~~

 

 

できる私には、価値がある 

 

小学校を卒業した私は、

父の転勤で東京に引っ越しました。

別れが悲しい…とか、逆らう気も、喜ぶ気もなく、

引っ越し作業で忙しい両親の横で、ただ淡々と

「親の転勤だから・・・」

 

(感情を感じることを、禁止していたのね)

 

 

 

それで、見知らぬ都会で始まった中学生生活。

私を知る人は、一人もいない。

 

地元の仲良し同志っぽい人が騒がしいなかで、わたしは

何か意見をいって目立つこともなく、

美人とか容姿で注目されるということもなく、

 

集団の中にいながら、

ちょっと離れたクラスの枠の外から見ている感じ。

転入時のお馴染みの感覚。

 

 

それが、中学校では変化があったのです。

まじめで、やることをきちんと、ちゃんとやっていたので、

いろんなを評価されたのです。

 

 

中間や期末テストの成績がよい、よい順位、

ピアノが弾けるので(コツコツ練習していた)伴奏者に選ばれる、

プールも泳げるので、選手に選ばれる、

小学生の時には味わったことのない、

「できる人」として、存在していた私。

 

 

それは、初めて

先生や他の同級生のなかに、

      い  て 

「そこに存在していいですよ」と許されたような、

居場所が認められるような感覚でした。

 

 

すると、家族のなかでの会話も、

それまでは優秀な兄の饒舌なお喋りといろんな議論(と、社会批評)

だったのが、

「できる私の話題」も増えてきたのです。

 

 

 

両親も喜ぶし、それをみて自分もうれしい、

先生も親も、私にに期待してくれる。

友達からも一目おかれる。

 

 

キチンと、ちゃんとできたら、評価されるんだ、

期待されて、それに応えたら、

私はここにいていいし、価値があるんだ!

 

 

できる自分って価値がある!

(親や周りの人の期待に応えたら)私の居場所がある!

 

 

はじめて、自分に自己価値を感じた時期でした。

 

 

一見、何の問題もない、理想的な感じでしょう、

私も、そう思っていましたよ、頑張って、できた自分に自信がある。

けどね、それは、やっぱり条件付き、なのです。

 

 

 

これは、通称「よいこのビリーフ」と言われていて、

その価値観「ビリーフ」は、後に自分を助けもするけども、

長く、自分を苦しめることになるのです。

 

 

 

 

続く

 

 →マイストーリー④ 過労

 

 

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