こんにちは、MIKAKOです。
前回、
小学生のころ、自分の感情は誰もわかってくれない、
感じることを、やめよう。
と無意識に決めてしまった、という話の続きです。
前回の話↓
カウンセリングを受けていると、
「無意識のチカラって、すごいな・・!」
と本当に驚きます。
それは、自分が何に困っているのか、
解決するには、何が必要なのか。
探し始めると、
膨大な過去の思い出の中から、
「これ」という、ふさわしい記憶を、引っ張りだしてくる。
(このこと思いだすのって、何十年ぶりかしら…)
みたいなことを。
それが、カウンセリングの「まな板」に、のるのです。
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できる私には、価値がある
小学校を卒業した私は、
父の転勤で東京に引っ越しました。
別れが悲しい…とか、逆らう気も、喜ぶ気もなく、
引っ越し作業で忙しい両親の横で、ただ淡々と
「親の転勤だから・・・」
(感情を感じることを、禁止していたのね)
それで、見知らぬ都会で始まった中学生生活。
私を知る人は、一人もいない。
地元の仲良し同志っぽい人が騒がしいなかで、わたしは
何か意見をいって目立つこともなく、
美人とか容姿で注目されるということもなく、
集団の中にいながら、
ちょっと離れたクラスの枠の外から見ている感じ。
転入時のお馴染みの感覚。
それが、中学校では変化があったのです。
まじめで、やることをきちんと、ちゃんとやっていたので、
いろんなを評価されたのです。
中間や期末テストの成績がよい、よい順位、
ピアノが弾けるので(コツコツ練習していた)伴奏者に選ばれる、
プールも泳げるので、選手に選ばれる、
小学生の時には味わったことのない、
「できる人」として、存在していた私。
それは、初めて
先生や他の同級生のなかに、
い て
「そこに存在していいですよ」と許されたような、
居場所が認められるような感覚でした。
すると、家族のなかでの会話も、
それまでは優秀な兄の饒舌なお喋りといろんな議論(と、社会批評)
だったのが、
「できる私の話題」も増えてきたのです。
両親も喜ぶし、それをみて自分もうれしい、
先生も親も、私にに期待してくれる。
友達からも一目おかれる。
キチンと、ちゃんとできたら、評価されるんだ、
期待されて、それに応えたら、
私はここにいていいし、価値があるんだ!
できる自分って価値がある!
(親や周りの人の期待に応えたら)私の居場所がある!
はじめて、自分に自己価値を感じた時期でした。
一見、何の問題もない、理想的な感じでしょう、
私も、そう思っていましたよ、頑張って、できた自分に自信がある。
けどね、それは、やっぱり条件付き、なのです。
これは、通称「よいこのビリーフ」と言われていて、
その価値観「ビリーフ」は、後に自分を助けもするけども、
長く、自分を苦しめることになるのです。
続く
→マイストーリー④ 過労
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