![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/002.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
今、自分の中の何かが切り替わるタイミングのような感覚があって…
これまで自分が歩んできた人生の道程を、改めて振り返ってみた。
〝恋愛〟が主軸に置かれた私の人生は、その時々のステージでご縁した相手とともに、子どもの頃の〝心の傷〟を投影し合った。
あるステージで相手との学びが終わっても、自分を更に進化・成長させようと、恋をお休みする期間はなかった。
優しくされると、その相手をすぐ好きになるような性質を持っていた、いつかの私。
厳しいと感じる環境下で、素直に甘えるという術を忘れてしまった私に差し伸べられた、〝救いの手〟のように感じていたのかもしれない。
それは、相手に恋をしたと言うよりも、自分を分かってもらえた(気がした)という自己存在の〝承認〟。
そして、一瞬であっても、満たされないものが満たされたことによる、束の間の〝安心〟だった。
ある時、その〝安心〟を継続して与えてくれる相手とご縁する。
私のどんなワガママや無理難題も、全て受け入れてくれるような相手だった。
そして、私の要求はどんどんエスカレートして行った。
この時は、〝自分の存在が無条件に受け入れられ、どんな私であっても愛される〟ということを体験していた。
それって本当は、私が父に対して求めていたことで、〝父から無条件に愛されたい〟と思っていた。
本当は、私のことを心から愛し、どんな時でも大きな愛で、私の全てを受け入れてくれていた父。
当時はそれに気付くことができなくて、それを相手に求め続けた。
その時ご縁した相手は、本当に優しくて、大きな愛のある人で、父から与えてもらいたかったものを、私に申し分なく与えてくれる人だった。
だけど、穏やかな安心感では、私の心の隙間は埋まらなかった。
それは、与えてもらうものよりも、私の心の傷が大きかったことを意味していた。
そして、次の学びの相手と出逢うことになる。
つづく
追伸:写真は大好きな父と一緒に、何度も行った地元の海🌊✨
*・゜゚・*:.。..。.:*・・*:.。. .。.:*・゜゚・*
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![下矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/121.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)