このことについては、いつか書きたいと思いながら、なかなか書けていませんでした。



この時のことを思い出すと、真っ先に出てくる思いはやはり治療は大変であったということです。



最も大変だったのは、今は助成も充実してきてはいますが、それでもお金がかかるという点です。


毎回の会計が何万円、何十万円となってくるので、精神的にも負担がありました。



次に、頻繁にクリニックに通う必要があることです。


卵子の育ち具合等に合わせて治療を進めていくので、平日も関係なくクリニックに行かなくてはなりません。



そして、不確定なリミットに追われていたということもありました。


シニさんが余命宣告されている以上は、考えたくはないけれど「死」というリミットがあることを考えないわけにはいきませんでした。


治療が思うように進まない時には、焦りや不安でいっぱいでした。



もしかしたら、同じ状況の方がいて何かの参考になるかもしれない。


何よりも、自分のために文章で残しておきたいという思いから、仕事復帰する前の今のタイミングで、こちらのブログに書き残させて頂きたいと思います。



まず、治療を始めるにあたってどのような思いがあったかについて書きます。



私自身、いつか結婚して子どもをもつのかな…というぼんやりとした人生観のようなものを持っていました。



そして、シニさんのがんが見つかる前に一度流産をしました。



本当に辛くて、街中で子どもを見るのも辛い日々が続きました。



そんな中で、シニさんのがんが見つかったのです。



その時は、「子ども」について考える余裕はありませんでした。



がんというのは何かの間違いではないか…



検査が進み、それは間違いのないことだという現実を突きつけられました。



2人でがんについて調べる中で、シニさんから「妊孕性温存」という話を聞きました。



その時に初めて子どもをもつことについて、考えたと思います。



抗がん剤治療を始める前に精子凍結を行いましたが、いつどのタイミングで治療を始めるかということはこの時には全く考えていませんでした。



何か考えるには、ショックが大きすぎたのだと思います。



その後治療が進む中で、「子どもをもちたい」と強く思うようになります。


次は、このあたりのことを書きたいと思います。







今日は陽向が「海、ぱち!」と言ってきたので、海に写真を撮りに行きました。







やりたいことを言ってくれるようになったんだなあ、と成長に驚きです。





今日の海は、なんだか神秘的な雰囲気でした。