◆幻のハワイアン・ドリーム
 
――住吉の店舗で考え方が変わったと?​

そうですね、どっかでやめたいなと思っていたんですけど、やめるチャンスもなかったんです。その会社は「夢を持ってはばたけ」みたいな会社だったんで、ちょうどアメリカでマッサージをしないか?って話があったんで、そこからハワイに飛んでしまいます。

―――え!そうなんですか。親会社からですか?

 

いえ、患者さんがハワイから日本に来てる人で。ハワイでちゃんとしたマッサージビジネスがないので、それを率先してやってくれたら、必ず成功するからって言われて。それでハワイのオアフ島に。ずっと言われてたんです、その人から、22,3歳くらいから。それを断ってたんですけど、そのタイミングで行くことにしました。コンドミニアムは用意するし、人脈は用意するから安心しておいでって。ただ、このとき自分が韓国籍であることを恨んだのは、ビザが大変やったことですね。アメリカのビザ取得。

――――就労ビザってことですか?

そんときは観光ビザから。それで慣れてきたらっていうかんじでしたね。その患者さんが、ハワイでマッサージを開業することを面倒見てくれる人を紹介してくれる流れでした。まー、これもいろいろおもしろかったです。コンドミニアムはボロボロでしたし、紹介してくれるっていう人がまったく役立たなかったですし。言葉の問題ももちろんありますし。

――――よく行きましたね(笑)。

若さってあるじゃないですか(笑)。それですよ。実際、アメリカンドリームみたいなんも夢見てたりしてましたから。ハワイっていろんな人がいますけど、一部お金持ちっていっぱいいるんですよ。その人たちをターゲットにするのもありだったんで、やろうと思ったらビジネスチャンスもあったんですけど、ただ、リーマンショックとサブプライムローンの問題があって、その紹介してくれたハワイの患者さんが元々不動産通してお金たくさん持っていた人だったので、それで一気に崩れて。


僕、そのときピーターって呼ばれてたんですけど、「ピーターごめん、もう出資できないわ」って。そんなに出資してもらってる感もなかったんですが。「あとはあなたの好きにして。」って言われて、どうしようかなって思って、「帰ろう」って思いました。その一番の理由は木久蔵ラーメンがまずかったことです。林家木久蔵がオアフにラーメン屋さんを出してて、向こうではラーメンってヘルシーでいいからとされていて、僕も懐かしいなと思って食べたんですけど、すごいまずかったんですよ。しかも二人で食べて80ドル(笑)。美味しいラーメン食べたいなって思って帰ることにしました。


―――けっきょくどれくらいの期間ですか?

 

2,3週間くらいじゃないですか。お店の開業までもいかなかったんですよ。マーケティングのリサーチくらいで終わりましたね。で、帰って来て前の会社戻るのもありやなって思ってたんですが、キャリーバッグをゴロゴロ引きながら、パッとみたら家の近くに空き店舗があって、「これや!」って頭にバチンと稲妻が落ちたのをきっかけに独立をしようと思いました。それが2008年くらいです。で、それから10年そこでお店やっています。



◆一歩踏み出すことが大事!
 
―――ずっと独立したいなって思いはずっと、あったんですか?

 

ありましたね。もう、学校にいるときから、メンバー集めて、自分らでやれたらいいねって話してましたね。むしろ独立しないと食べていけない業界ですしね。


ただ、ハワイのときも迷いはありましたね。ここでほんまにできるんかなっていう自分を払拭できなかったのもありますし。すごい乗り気なのは飛行機の中くらいで、着いたときにはもうモチベーション下がってたんじゃないかな(笑)。メルビンって案内の人が世話みたいなんしてくれたんですけど、その人と言葉の問題もあってなかなかコミュニケーションが取れなかったのもありますし。観光みたいなんをしながら、「こんなんしに来たんじゃないよな」って、悶々とした日々を過ごしてましたね。僕自身がもっとやろうと思えてれば、やれてたんでしょうけど。なんかどっかで、頭にインスピレーションが下りて来なかったのかな。


でも大事なことやと思うんです。やってみないとわらかないことっていっぱいあると思うんですよ。けっこうやる前からみんな答え出してることって多くて。実際そこに足を踏み入れないと見えない景色があるし、自分がほんとにやりたかったことなのかどうかも、とりあえず動き出さないと自分自身を客観的に見ることもできないですし。動き出さないと、ほんとにそれがやりたかったことなのかわらかない。

 

もし、仕事で悩んでいる人がいるのなら、強調したいのはこの部分。実際、やったらそれでいいんですよ。それでダメやったらさっさと逃げたらいいんですよ。一歩踏み出した後に、逃げる自分自身を否定するから、ブラック企業とかにいつまでも行っちゃって、過労死したり自殺するくらいまで自分を追い込んでしまって逃げれなくなるわけでしょ。逃げちゃったらいいんですよ。一歩踏み出したこと、それが大事なんですから。その一歩から違う景色を見て、で、また踏み出せばいいんですよ。一番問題なのは、踏み出さないこと、そして踏み出した後に逃げないことだと思います。


◆まず1000軒に挨拶

 
―――御影の店舗を見つけて独立されてから、一人で始められたんですよね?

 

ゲー吐きそうでしたね。ほんとに辛かったです。訳がわからないんですよ、やることが多すぎて。何から手をつけていいかわからないですし 。そこから歩みを進めた人しかわからない感覚かもしれないですけど。ナチュラルハイです。自分が疲れているのか、元気なのかもわからないですし、何をしているのかわからない。ただ、患者さんが来なかったらつぶれるわけじゃないですか。借金は無かったんですよ。整体のお店って100万円くらいあったらすぐ店舗が作れるんです。ただ、患者さんをいかにオープンのときに呼び寄せるかって、すごい大事で。そのためにすごい頭を使いましたね。僕、かっこつけなんで、つぶれるって絶対嫌やなって。これは今の自分の自信にもつながってるんですけど、かなり泥臭いことをやってたんですよ。一軒一軒、「御影フィール」から半径1km以内の家をピンポン押して、挨拶していったんですよ。「今度、5月15日にオープンします、御影フィールといいます。整体のお店ですので、何か身体に困ったことがありましたら、どうぞよろしくお願いいたします」って。引っ越しのときのような挨拶を。それで1000軒くらい配り終わってから、予約表をみたら、一週間待ちになってたんです。オープン開始から、一週間ずっと患者さんが来てくれることになったわけです。オープン当日にも電話がかかってきて、「すいません、一週間先まで予約がいっぱいなんです」っていうので、「え、そんな予約いっぱいなんや」って思ってもらうのと、実際、その技術が評価されたということと、御影の患者さんと住吉の患者さんたちが合わさってきて、気が付いたらどんどん相乗効果で、一か月待ちのお店になってましたね。一か月のお店になるのに、一年かからなかったですね。


―――――すごいですね!

ただ、たいへんなんですよ。チラシ配りでも一軒一軒ピンポン押していくのとかも。それができるのは、僕は人口島の焼き肉屋で育って、要はエリートみたいなかんじのところをくぐりぬけてないから(笑)地べた這って生きて行くやり方みたいなことをけっこう知ってるので。も、遠回りなようで、それが一番強い。だって、営業に関して「いつだれが何を提供しているか」って情報よりも強い情報は無いですから。直接的に、この人が商品を提供してくれるんだってわかってもらう。実際対面している人への感情が入ったほうが、物が売れる。なんとなくチラシをポストに入れるよりも、必ず会ってわたしたほうが、効果的なんですね、その時は身なりを整えて、自信もって。


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