先日のブログで、家族の選択として「余命は伝えない」ことになったと書きました。



このことについて、コメントを頂き拝見して、本当に難しい問題であったと改めて思いました。



正解はわからないし、今も正解はないのかなと思っています。




実は、シニさんが亡くなる半年ほど前だったと思うのですが、シニさんとシニさんのお母さんとでお話している中で、この時の話になったそうです。



手術からはすでに2年が経過していました。



そこで、「余命2年」と言われていたことをシニさんは知り、とても驚いたようです。



私はシニさんが当時自分には知らされていなかったことを知った時、怒るのではないかと思っていました。



しかし、シニさんは笑って「聞いたよ」と言っていました。



そして驚いたことに、「こんなに長い間、家族が自分に余命を伝えずにいたことを尊敬する」と言ってくれたのです。



私は肩の荷がおりた気持ちになりました。



自分の中で後ろめたいような気持ちと決して伝えてはならないという緊張感を持って過ごしていたので、この時本当に心からほっとしました。



そして、このことをシニさんに伝えてくれたシニさんのお母さんに深く感謝しました。



シニさんとお母さん、2人の信頼関係があればこそのことだったと今でも思います。




あの時、もし家族皆ではなく私に決断が委ねられていたら…



余命を伝えていたかもしれません。



そうしたら、シニさんは希望を持って抗がん剤治療を受けていたのだろうか。



陽向は生まれてきていたのだろうか。



その問いかけの答えはわかりません。



そしてその答えは、今の私にとっては重要なことではないのかなと思います。




シニさんが、一生懸命治療を受けながら生きたこと。



家族の絆が深まったこと。



そして、陽向が生まれてきてくれたこと。




これらは間違いのない事実であり、何度過去に戻ってもあの時の私たちは同じ決断をしていたと思います。




この記事をもって、「シニさんにがんが見つかった時のこと」については終わりとさせていただきます。



長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました。




陽向とシニさん。

最後の入院の時に撮った写真。