今日は名古屋の親戚がお見舞いに来てくれました。


会うのは何十年ぶりです。


こうやって繋がりが切れかけていた縁が復活するのも、僕が病気になったことによるギフトやプレゼントだと感じます。


目があった瞬間に泣いて抱きしめてくれました。


僕は

大きな大木の死はその下に眠る無数の命の誕生です。

大きな循環の中では生も死も同じです。

人生は長さではなくどう生きたかの方が大切です。


高齢者が過去最高の長寿でも、小中高生の自殺率も過去最高です。

本当に長生きすることが正しいことなら自殺率が増えるわけがありません。


例え奇跡が起こってがんが治ったとしても、いずれは死ななければなりません。

長く生きるのも大変です。

老いもまた苦です。


やれやれやっと死んでくれたかと思われるよりも惜しまれて死ぬ方が僕はいいです。


悲しみは愛の種です。

悲しみがあるから愛が生まれます。

だから大いに悲しんで、僕の分まで長生きして下さい。


出会えて良かったです。

ありがとう。

愛してます。


と伝えました。


親戚は

「きて良かった」

と言って笑顔で帰られました。