僕は誰かに願われて生きている

僕は誰かを願って生きている

その願いの呼応が大元の行動の原理だと思います。

自分がちゃんと生きたいと思うのは、
そこに誰かの願いが有るからです。

それが例え
楽してお金持ちになりたい
アイドルになりたい
有名人になりたい
政治家になりたい

YouTubeになりたい

などの漠然としたものでも、

その他のどんな生き方でも、

自分の中にそれがちゃんとした生き方としてあるのなら、それは誰かの願いに応えるためです。


そして、その願いを応えることによって自分はちゃんとここに生きていると証明したいのだと思います。


私はちゃんと生きている。


それが人生の目的だと思います。


その自分の生きた証明を一番理解して欲しいのは自分を産んでくれた「両親」ではないでしょうか?


一番、僕に願いをかけているのは「両親」です。

ならば、僕は「両親」の願いに応えたいと思います。



それは、シンプルなことで

「お父さんの元に生まれてきて良かったよ。

 僕は、お父さんを誇りに思います。

 お母さん、産んでくれてありがとう。

 あなたの元に生まれて僕は幸せだったよ」

と伝えました。


父も母も

「立派な息子、僕たちのところに生まれてくれて ありがとう。」

と言って涙を流してくれました。


願われたことと、願ったことが一つになり、両親に感謝を伝えられたことにより僕の人生の目的は達成しました。


こんなにも幸せな家族との最期を迎えられるのもがんに罹患して貰ったプレゼントのような気がします。


何を願われ

何を願い

どう生きるのか


良い。全て良い。

僕のデッサン。父は画家です。