■死を理解したい
29歳冬。
死ぬまで予約を入れられていた人たちが、本当に死んでゆきます。
この頃からホスピスに通い始めました。
患者さんから、足のむくみを取って欲しい、身体をさすって欲しいと依頼がありました。
僕が足をさするとむくみが消え、身体をさするとがんの痛みがひいていくと好評でした。
この時期から緩和ケアと看取りを始めます。
店は変わらず忙しく、緩和ケアの病院から直接仕事場に行く日も度々ありました。
店→病院→店→病院と通う生活はバランスを崩し、食事も不規則になります。
朝、昼、晩、晩、晩の食事は体重を激増させました。
過労のピークで精神的にも肉体的も限界を迎えていました。
それでも緩和ケアをやめなかったのは、
死を理解したいという強烈な思いがあったからです。
息を引き取る、その最期の一息まで見届けて、そこに何が生まれるのかをみたかったのです。
死とはなにか。それを知るためには死ぬ瞬間と向き合うしかないと思っていました。
7人の死と直接向き合って、死は生の一部であるということを理解しました。
生きるということと、死ぬことは切り離されているのではなく、あくまで生きることの一部として死がある。
そう理解しました。
そして、死があるから生がある。
生きることと死ぬことは大きな循環の流れの中では大きな差はありません。
「一本の木の死は、土の中の無数の命の誕生なのだよ」(サティシュ・クマール)
生も死も
「地面に染み込む一滴の水のような祈り」(大江健三郎・燃え上がる緑の木より)
という自分の私利私欲を超えた清らかなる祈りが生まれるのではないか。
「いのちはいのり」(藤元正樹)
それぞれの言葉が一貫性を持ち、僕の中で死と生が繋がってゆきました。
看取りを行った患者さんの一人に講談社から
「なぜあなたは食べ過ぎてしまうのか」という本を出版した、
臨床心理士の岡嵜順子さんがいました。
順子さんは大手企業のメンタルヘルスマネジメントを中心に、
肥満専門外来でのカウンセリングも行っていました。
ダイエットの成功率9割という実績が認められ、
本を出版するまでに至ります。
出版以後、テレビの取材や、雑誌の取材で順子さんは多忙を極めていました。
順子さんは美智子さんの娘です。
ある日、
「母のことをよろしくお願いします」
と順子さんが僕に言いました。
順子さんの胃がんは腹膜まで広がり末期の状態でした。
順子さんは死期を悟っていまして、母の美智子さんは私の死に耐えられないと言います。
だから、僕に美智子さんの心の支えになるように頼まれました。
美智子さんは美智子さんで娘の苦痛を少しでも楽にしてあげたいということで、僕に仕事を頼んでこられました。
この手のひらに地面に染み込む一滴の水のような祈りをこめて、
最期の一息まで僕は順子さんの身体をさすり続けました。
順子さんは最期に手をあげて声にならない声で「ありがとう」と言ってくれました。
この「ありがとう」はいつまでも消えない僕の宝物です。
つづく