昨日は母たちがお見舞いに来てくれました。



真ん中が我が母

右がまりえさんの母

左が陽向くんの母


3人の母です。


みんな仲良しでいてくれるのが僕は嬉しいです。


僕の病気を通して絆が生まれているのを感じます。


同じ苦しみを共有することで一致団結しているように感じます。


本当に素晴らしい。


なにせ、まりえさんのお母さんが最高です。


和歌山で農業をされているのですが、

自宅の玄関に溝あり、

そこに軽トラがよくハマるそうです。


なんと、

まりえさんのお母さんは軽トラを持ち上げます。


まだ50代です。


また、料理が最高に美味しいです。


自分で手塩にかけた野菜でつくる料理です。


愛のかけ方が違います。


僕は子どもの頃、父からの虐待があって

「おやじぃ〜はやく死ね〜はやく死ね〜」

と呪いながら成長した幼少期でしたので、

僕がいなくても立派を陽向くんは成長するだろうと思ってしまいます。

(今では父とすっかり仲良しですが)


見知らぬ人から


「子どもがまだ小さいのに!

 死んでどうするの!あなた!」


などと言われますが、


余計なお世話です。


どんな環境でも、何がきっかけで大きく成長できるのかはわかりません。


可能性は見えないからこそ可能性です。


可能性は見えてしまえば可能性と言いません。


親が見えてしまうような可能性を子どもに押し付けるから、子どもは親からの期待に添えられないという形で自ら命を絶つのではないでしょうか。


陽向くんがどんな大人になるのか見れないのは辛いですが、

僕は死んでも太陽のように陽向くんの人生を照らす存在でありながら死にたいです。


そうして陽向くんも太陽に向かって生きて欲しいと願います。


そう。


それで陽向(ひなた)という名前になりました。


少なくとも父の背中を見せられるぐらいのことは残して死にます。