先日の東京ドーム興行でWBAフライ級タイトルマッチが行われた。王者はユーリ阿久井選手。

 

正直、どういう選手なのか知らない。タイトル奪取した試合も少し見ただけだった。その時は当時の王者アーテム・ダラキアンに興味があって見たら動きが悪く感じてすぐに観るのを止めてしまった。

なので相手のユーリ阿久井選手の印象は殆ど無い。

今回も試合は見ていないのでまだ何も知らないが名前が気になって書いてみた。

 

調べてみたら、やっぱり私の大好きだったボクサー ユーリ・アルバチャコフが由来のようだ。ユーリが好きなんて、、と思って一気に親近感が湧いたが、理由は違っていた。曰く

>>同郷のキックボクサーから「顔が勇利に似ている」と言われ、ジムの会長に話したらリングネームとして申請されてしまったとのこと。「“もう出したで”って…。でも、後悔はしてない。おかげで覚えてもらえるし」との事。

 

な~んだ。。今の時代過去の映像は希少なもの以外は結構誰でも探せば出てくる。だからかな?と思ったのだが。。

 

ユーリ・アルバチャコフ。言わずと知れた名王者。旧ソ連のペレストロイカ政策で来日して協栄ジムに入った。

旧ソ連人と思われがちだけど本当はショール人という少数民族出身だ。ロシア国内でもわずか1万人いるかどうかで国内でも知らない人も多いと言われる少数民族。農業や漁業が中心の民族だが、中央政府の政策によりどんどん本来の居住地域を追われていった。

そんな中、ボクシングの才能を見出され世界アマチュア王者にまで上り詰めて来日。

当時の協栄ジムの会長から同ジム最初の世界王者海老原博幸にあやかりユーリ海老原というリングネームになった。。。

詳細はともかくユーリはこのリングネームが嫌だったという。

祖国の英雄、もとい国ですらない少数民族の誇りであるユーリ・アルバチャコフ。故郷の人たちから 『何故、名前を変えたんだ?』『もうシュールを忘れたのか?』と心配されたという。

私たち日本人は島国という事もあり自分のルーツを疑問も無く少なくとも日本人だと言える。例えハーフだったりしたとしても日本人の血が流れていると特に意識せずとも思えるような気がする(もし違っていたら申し訳ないです)。

だが、自分のルーツである民族が祖国ですら知られておらず住む地域も散り散りになり1万人位しかいないとなるとどうだろう。

いつか消滅し存在自体無かったかのようになるかもしれない少数民族。今でもユーリ・アルバチャコフはロシア人として紹介されているだろう。その心情は。。。

そんな少数民族から世界王者が誕生した。英雄だ。それなのに名前が変わっている。。。

ユーリにとってはこんな屈辱は無かったかもしれない。

幸い、長年の要望が叶い3度目の防衛戦ではユーリ・アルバチャコフになる事が出来た。後にユーリは勇利と表記する事になるがそれはまた別の前向きな理由だ。

 

当時は、今と違って日本ではボクシングはもっとメジャーなものだったしこういったエピソードは少し自分で掘り下げれば耳目にする事が出来た。

 

思い返せば、ユーリ・アルバチャコフのおかげで私はBサイドのボクサーに興味を持つのかもしれない。

そこには決して好きなだけでリングに上がっているわけでは無い己の拳だけを信じてたった一人でリングに立たなければいけない

理由があるから。

 

ユーリ阿久井という名前を聞いて良い思い出が甦った。。。

名前をどんな理由であれ使った以上は名前に負けない王者の道を歩んでもらいたい。

 

ユーリ阿久井選手、次戦はじっくり見させて頂きます。よく知らないまま書いて申し訳ないです。

初防衛、おめでとうございます。