思春期から20代にかけては、
「平和」「調和」をイメージする色
というだけで嫌っていた緑。
当時は脳内がバトルワールドだったから、
「戦わないこと」は
「弱くて偽善的」な感じがしてたんだよね。
「平和的な解決」を望むことは
「弱い人間」がすること。
幼い頃からそう言い聞かせることで、
自分や周囲に向けられる攻撃的な言動に
納得しようとしていたのだと思う。
そうして、それに対抗できるよう
心の中の刃を研いでいった。
思春期に田舎に引っ越したことも、
緑を嫌うだったように思う。
そのことで、自分の可能性が
狭められたような気がした。
いろんなことが経験できる
都会の子がうらやましかった。
引っ越した先で馴染めたのなら
また違ったかもしれないけれど、
そうではなかったから、
とにかく抜け出したかった。
問題は、家庭や学校での
人との関係だったのだけれど、
そうしたものも全部ひっくるめて、
「田舎のせい」にしてたんだよね。
「自然」はそんな田舎の象徴だったから、
実家を離れても、自然を思わせる緑は
やっぱり嫌いだった。
でも、
緑自体はなにも悪くない。
それに気づいたのは、
緑の曼荼羅を描いたり、
眺めたりしているうちに、
そこからくるエネルギーが
決して嫌なものではないと
わかったから。
同じように、
「自然」も「田舎」も
「平和」も「調和」も
悪くない。
「平和的な解決」を望むことは
決して弱いことではなく、
自分の感情を抑えられず、
力に任せることしかできない人の
言い訳にすぎない、
ということにも気づいた。
緑にとってはとんだとばっちり。
長らくごめんね。
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ミカヅキ🌙さと子
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