今、再び過去に書いた
天才物理学者・石原純の愛に捧げた生涯の小説を書き直している。
タイトルは、「純愛の果て」
以下に、野口晴哉の恋愛論の一部を記す。
「恋愛はお互いの幸せの為にある。しかし、その根本は魂のノスタルジアだ。人間が理想を追い、完全を求めて止まぬ心に、その出発点がある。
恋愛とは必ずしも、二人が燃えている人間の状態を指すのではない。裡の心の要求をごまかして生きている人達には、已に恋愛を知ることはできない。
方便は方便だ。それ故、本当は恋愛の持続ということはない。これを悟らぬ人々は誰も彼も、自分に恋愛しているに過ぎない。その恋愛は相手にあるのではなく、自分にあるのだ。自分にあるうちは、これは恋愛ではない。」
人を愛する。
人を好きになる。
魂のノスタルジアとは?
理想を追い、完全を求めて止まぬ心とは?
原阿佐緒を霊(いのち)をかけて愛した石原純の心のなかに去来したものは・・・?
私事だが、
真の医療を追い求めて45年が過ぎた。
その情熱と好奇心は一向に衰えることはない。
確かに、私の中には理想を追い、完全を求めて止まぬ心がある。