junbe少年期 転機の回② | Junbeの頑張ってます。 -癌には負けません-

junbe少年期 転機の回②

おはよう御座います


ただいま夜勤から帰ってきました


たくさんのコメント有り難う御座います


では 前回の続きです





僕は家族、友人の支え


医師、看護師さんなどの支えで日に日によくなったそうです


『 奇跡的な回復です 』


そう告げられ、両親も安堵


おしっこの色も少しずつ正常に戻っていきました


透析の心配もなくなったようです


わずか一ヶ月と少しほどの入院生活


でも一生忘れません


しかし


退院すると


これまでとはまったく違う世界がまってました



一週間 ( ここらはあいまいです 理由は後ほど )


に一度 朝一番のしっこをもっての通院


運動制限


運動は禁止でした


みんなが遊んでいても僕は見てるだけです


食事制限


塩分はほとんど取れません


思いどうり行かないからだ


僕の生活は180度変わってしまいました


この頃の小学生はみんな半ズボンでした


僕だけ長ズボン


通学で学校の目の前で嘔吐


家にかえって寝てました


でも今一番つらいのは




退院してから小学生四年までの記憶がほとんど


ないんです


これは


昨日の夜勤中に思い出そうとしても


まったく思い出せないことで初めて気付きました


幼稚園の頃や小学五年生の頃のことは覚えているのに


その間がぽっかりと開いてます


今まで気にしないようにしていたのかも


よく友達が


『 ひさしぶりー 』


といわれても


誰だかわからないのは このせいかも


それと


僕は球技がほとんど出来ません


小さい頃ボールに触ってないためです


だから 今子供が大きくなってキャッチボールが出来るかと


心配してます







小学五年生の頃には


『 もう大丈夫 』


といわれたようです


でも運動はさっぱりでした


唯一できたのが 水泳


リハビリ目的でこれはしてもよかったんです


小学六年生のときは


スイミングにいってないけど


記録回の選手にも選ばれました


惨敗でしたが・・・・



でもそんな病気でしたが


僕にプレゼントもしてくれました


小学校の頃の 「 将来の夢 」 という作文で


『 病院で働きたい 』


と書いていたようです


夢がか叶ったわけですか






親父はすごい人です


世界で一番尊敬してます


そんな親父に質問したことがあります


『 もし 生まれ変わってするとしたらどんな仕事がしたい 』



『 今の仕事だな 』


考えることもなく そういいきりました


こんな人生を目指したい


と強く思いそして僕もそんな仕事をしたいと思ったのです


僕は後悔のないように生きてます


いつ死んでも、


後悔のないように


そして 今の一番自分が一番好きなように


僕は今 「 今の自分が一番好き 」


『 今 死んでも後悔はない 』


と思えるようになってきました




同じ病気で戦っていた


少し上の近所のお兄ちゃんは二十歳で亡くなりました


僕が入院した病院の院長先生の息子も


同じ病気で亡くなったようです


僕は運がよかった


これからは僕は


自分のためには頑張らないと思います


周りの人のために頑張れたら



僕のブログのタイトルはそんな意味です




気になるのは



集中治療室で一緒にいた


年上の女の子


若年性糖尿病 でした


成人性の糖尿病とは反対で


インシュリンが分泌されすぎる病気です


毎日 高カロリーの食事が必要でした


どうしているのか



ってしんみりしてしまいました


次からは


またいつものノリに戻ります


あとこのブログ


開設


一ヶ月記念

なんです


みなさんいつも見てくれて本当に有り難うございます


これからも 頑張って いきましょうかー