小野みかです^^
少しずつ自分のことを書いていきたいと思います♫
わたしの両親はクリスチャンで、毎週日曜日に教会に行くのはもちろんのこと、平日は教会付属の幼稚園に通っていました。
その幼稚園のプログラムでは情操教育の一環で舞台に立つというのがありました。
幼稚園のステージを作る先生がいて、幼稚園児はその先生のダンスのレッスンを週に1回受けて、年に1回本番をやるという感じです。
6歳のときに、年長って主役をやるんですけど、本当はお姫様をやりたかったんですw。なのに配役は「魔女」w。
やりたくなかったから、嫌々やっていたら、すごく怒られてww
で、やけくそでやっていたら、すごい褒められたんです(笑)
先生が涙を流しながら、今までの魔女の中で一番良かったって。
それがすごく気持ちよくなっちゃって(笑)。続けようかなって。
卒園してからもその先生の元に通う人が多くて、教会の中のダンス教室のクラスに卒園後も通っていました。
モダンダンスの先生だったから、セリフとかは一切なく動きで表現するみたいな感じでした。
そのダンス教室のお友達がアニーのオーディションを受けるということで、一緒に受けようと誘われて、訳も分からず書類を出し、会場に行き。。。という感じで、なんと受かってしまうという奇跡。。
当時中学2年生でした^^(一番右上です)
高校は、制服を着るのが嫌で、私服の学校を選びました。
うちは、公立しか行かせてもらえなかったから、公立で私服の学校を探したら、学区内で1校だけあって。そこを落ちたら働くという約束で。。。
アニーに出ながらの受験だったので、同級生からは完全に遅れをとり、冬休みで巻き返したという感じで、受かった時は「これで働かずに済む!」と大喜びでしたw
私服の学校だからか、結構クリエイティブな発想の人が多かったり、卒業生も漫画家さんや作家さんが多く、芸能活動にもとても理解のある学校でした^^
舞台の稽古とバイトで疲れ果て、寝坊して、1限目は全滅。部活だけ行くみたいな。。。
この学校じゃなきゃ卒業させてもらえてなかったと思いますw
部活は、バスケ部の幽霊マネージャー。
もう1人のマネージャーが一生懸命やっているのに、私がたまに行って「元気?」みたいにやるからあまり好かれてなかったです(苦笑)
アニーに出た翌年は、ハウス食品と提携していた「世界名作劇場」というアニメを題材にした作品をミュージカルにした舞台に出ていました。
舞台とバイト、そしてたまに学校^^;
そんな学生時代を過ごしました。
その後舞台を続けて22歳で妊娠。
ダンサー仲間からは「産んだらまた戻ってきたらいいよ」って言ってもらっていたけど、産んだらそれどころじゃないですよね(笑)。踊れない。
今まで自分の思い通りに生きてきたお子ちゃまが、いきなり思い通りにならない育児を経験する。。。
今思い出すだけでも本当に右も左もわからない壮絶な状態だったな〜と思います。
結婚してから地元を離れて、誰も友達がいない場所に引っ越したのもノイローゼ状態を作った原因の一つでした。
徐々に友達を増やして行ったけど、わたしの子どもたちに対する風当たりは日に日につよくなっていきました。
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