堺屋太一『組織の盛衰』を深掘る-その18「組織の成長を掲げない目的はありうるか?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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8月20日の一読は第三章の続きで「(2)トップの役割」までです。ここでも劉邦の組織論が紹介されていたが、内容を読めば読むほど、共感できないところばかりでした。


たしかに劉邦は組織を維持するという一点において卓越した実績を残したのかもしれませんが、その時々の組織の機能に役立つ人材を使って、いらなくなったら容赦なく切り捨てることをしたり、一度覇権を握れば、頑なに争いを避けることを優先したりしていました。


結果的に400年の長期にわたって組織は生き続けたわけですが、組織として何を成し遂げたのかということがすごく気になりました。


堺屋氏の解説では、劉邦の組織論が共同体的な側面よりも機能体的な側面の内容が多くて、目的達成のための組織としてしか描かれていませんでした。そしてその目的を見ていくと、なぜ行ったのかという劉邦の動機はよくわかりませんでした。もちろん史料では確認しづらいのかもしれませんが、動機なき行動に移ってしまうのはすごく怖いことだと感じています。組織を構成する人々の想い抜きに組織が形成されていけば、手段が目的化すること、つまり組織維持のみが至上命題になりかねないからです。