堺屋太一『組織の盛衰』を深掘る-その14「組織の社会主観の怖さ」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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8月16日の一読は第二章の続きで「客観的評価と外的表現」までです。組織に見られる特定の主観の中で、堺屋氏がここで取り上げてきた「社会主観」はかなり根深く怖しいものだと感じています。

「一つの組織の社会主観が、他の人々と著しく違っている場合、その組織は反社会的存在となってしまう。世間が暴力団やヤクザを忌み嫌うのは、その組織での社会主観が世間一般の見方とは著しく異なり、「組」のための暴力や犯罪が賞賛されると思われているからだ。

 官庁や企業でも、時には世間一般の見方とはかなり違った社会主観を持つことがある。 バブル時代の金融機関では、営業の拡大のために安全性や継続性を軽視した貸付けや取引が認められたのは、その一例だろう。証券業界で一般化していた大口取引先に対する損失補填や、いくつかの産業界に見られる談合なども、その時期のその業界では、何ら罪悪感なく行われていたはずだ。テレビ業界に多い「やらせ」も同様だろう」(119ページ)


この文章から連想できる出来事が日本の新聞やニュースで取り沙汰されてきたことは容易に想像がつきますし、最近の傾向としては、これまで黙認されていた組織の社会主観が組織内の人物によって問題提起あるいは告発されることが多くなったということです。


本書は2022年に決定版として出ていますが、もう少し近年の出来事にフォーカスしたら、もっと劇的な変化が見えてくるように思えました。