偉人の子供時代の習慣を深掘りする–その32「松下少年のように電気の未来にワクワクできるか?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。



5月18日の一読は第4章の続きで「チンチン電車から電気の時代を予感――松下幸之助」までです。前回の本田宗一郎の子供時代と同様に、今回の松下幸之助もまた、子供時代に見たチンチン電車(路面電車)への感動から電気の力の可能性にワクワクしていったことが書かれていました。


このエピソードはわかりやすくて魅力的に思えましたが、他方で、同じようなことを現代の子どもができるかというと、いくら電気の魅力を感じても、他方で地球環境問題の現実を知ってしまって落胆する可能性があります。無邪気になりきれないのが今の子どもたちかもしれないと実感しています。


松下少年のように、

「自転車は足でこがなければ走らない。ところが電車は、あれだけ大きな図体をしているものが、目に見えない電気の力で動いている。たいしたものである。自転車はのっていると疲れ てくるが、あの電車ならいくら走っても人間は疲れない。まことに便利である。電気の力というものは、本当にすばらしい。

 そして、これからは、この電気の力はいろいろな面に使われていくであろう。まことにおもしろい。世の中がいろいろな面で便利になる。だから電気関係の仕事は将来大いに発展していくにちがいない。自分もできればそういう方面の仕事をしてみたいものだ。さぞかし、 おもしろいし、やりがいもあるだろう。できるものなら、ぜひ電気関係の仕事がしたい。そういう思いがだんだんつよくなってきた。」(152ページ)

と自然に考えるのはなかなか難しいと思われます。電気は面白そうかもしれないけど、普及すればするほど、地球環境に悪影響を及ぼすかもしれないと感じてしまいかねないからです。もちろん、環境負荷の低い電気を研究したいといった思いを持つことは可能かもしれませんが、現実化できるかどうかは別問題です。


昔の子供たちのように素直になれないということをただ嘆くのではなく、より全体に視野が広がりやすくなった子どもが増えたことを前向きに捉えることが重要だと感じました。そしてそんな子どもたちだからこそ感じられる新しい感動体験を経験できる社会にするにはどうしたらいいかを考えたくなってきました。