偉人の子供時代の習慣を深掘りする–その26「関心は欲求の延長」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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5月12日の一読は第4章「生涯をきめた子供時代の経験」の冒頭までです。ここで著者が最初に書いていたのが、「どのようなことに関心を持つかが、人間の生き方をきめる。それは、多くの場合、子供時代に芽生える」(126ページ)でした。

「生涯をきめるような関心はどのようにして生れるかと言えば、それは、衝撃的な、印象深い経験によって生れる。その経験は心のなかで何度も何 度も反芻されるうちに「心の習慣」となり、願望や欲求をつくりだす。」(同上)


基本的に当たっていると思いますが、子供時代に限定しているわけではないことには注意すべきだとは感じました。


ただすごく参考になると感じたのはビアジェの文章の引用部分です。

「関心は、欲求の延長である。すなわち、対象と欲求との関係だ。というのも、 対象が欲求に相応する限り、関心をよぶものとなるからである。だから、関心は、あらゆる心的同化活動に特有の方向づけなのだ。心的に同化するということは、ある対象を、主体の活動に合体させることであり、対象と自分とのこの合体関係は、言葉のもっとも直接的な意味での「関心」(inter-esse、「存在の間に」というのが原義)にほかならない。こういうわけで、関心は、精神生活そのものとともに始まる。(ジャン・ピアジェ 「思考の心理学』滝沢武久訳・みすず書房)」(126-127ページ)


ここでの気づきは「関心」という言葉のニュアンスが持つ意味合いにもっと自覚的になるべきだということです。特に自身の「欲求の延長」から「関心」が生まれることにはもっと素直になるべきだと感じています。