偉人の子供時代の習慣を深掘りする–その16「親が信頼する人の話を聞く」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。



5月2日の一読は第2章の続きで「食卓での会話が子供の好奇心を刺激する――フランクリン、フォン・ノイマン」までです。今回の内容で興味深かったのは親が子どもの手本になれない場合についての事例だったことです。これはかなり汎用性の高いことだと感じましたが、読み終わって、やはりすべての親ができるとは限らないと思いました。

「お手本になれるような親はごく稀である。子供のお手本になれない親はどうすればいいか。必要なのは、教育的環境をつくること、向学心や好奇心を育む環境を家庭のなかにつくりだすことである。その一助となるのが、知人、友人、個人である。子供というものは、親の話と同様、親が信頼する人の話に素直に耳を傾けるものである。」(77ページ)


親自身が子どもの手本になれなくても、親が信頼する誰かにゆだねることはたしかにありえると思いますが、そのことに自覚的な親がどのくらいいるかが気になりました。自分の知り合いが自分の子どもにとって有益だという視点を昔の人はかなり持っていたことに素直に驚きました。たしかに何が信用できるかがわからない時代では自分の目で見極めるしかありません。そんな必死な親の姿を子どもはきちんと学びとっていけるんだとフランクリンとノイマンの実例で実感することができました。