“自己”の育て方を深掘りする-その17「上野陽一の能率道」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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昨日の一読は第一章の続きで「上野陽一の能率道」です。今回は予想以上に気づきが多かったです。前回の日本発の思想や哲学の大事を書きましたが、それを佐伯先生がきちんとおさえていたからこそ「上野陽一」という人物を取り上げたんだと思います。


正直、この人物は完全な初見でした。英語のefficiencyに日本語では「能率」と訳すことがあることは知っていましたが、上野先生が提唱したことを初めて知りました。この「能率」という言葉に込めた上野先生の思いは興味深いと感じる一方で、研究者目線が強すぎるとも感じました。


「目的と手段が釣り合った状態」(86ページ)を「能率」と捉えるという気づきは大事かもしれませんが、実際にそれが判断できるのは事後的だったり、検証可能な範囲に限定されると思われました。


ただ、「能率の向上プロセス」自体は参考になるところがあると思いました。

「手段の総量が目的に必要な量を上回っている状態を「ムダ」、逆に、手段の総量が目的のために必要な量に足りていない状態を「ムリ」、さらに、どこかに「ムダ」があればどこかに「ムリ」が生じる、この状態を「ムラ」と呼びました。これらを克服することが、能率の向上なのです。」(同上)


この「ムダ」や「ムリ」や「ムラ」は現場の感覚を磨くことでかなり研ぎ澄まされると予想できます。これらを自覚すること自体が東洋的なんだということも佐伯先生は指摘しています。

「この考えの背景には、本来は資源でも何でもない「それそのもの」であるはずのものを、あえて資源として利用する以上は、それを資源として活かしきることが何よりの誠実さであるという論理が見て取れます。」(86-87ページ)


この指摘は非常に重要です。日本人であれば当たり前に感じ取れるモノへの感謝の心を経営の世界で存分に発揮することに意義を見出せるからです。


佐伯先生によれば、「上野は、「能率」を学問の対象とし、「能率学」を提唱するとともに、その実践に対して、日本的な「道」の性格を付与し、「能率道」を打ち立てています。」(87ページ)とのことで、実践の尊さを「道」と表現するところは共感できました。